ロリー・バーンが語る“生涯忘れられないマシン”。カリスマを開眼させたベネトンB194
しかし、94年……。
「マクラーレンが独立パワーブレーキシステムを使い始めたことなどから、FIAはレギュレーションでハイテクデバイスを禁止してしまった。ハイテクで残ったのはセミオートマチックギヤボックスだけだった」
当時のマックス・モズレーFIA会長が、それまでF1が培ってきたハイテクの進化を一気に切り捨ててしまったのだ。
「アクティブライドでは、常に最上のエアロ効果が得られるライドハイトの維持に集中してきたが、すべての制御機能が禁止されたので、B194ではライドハイト変化を含めてあらゆる状況下でエアロ性能が変わらないように開発を進めたんだ。ピッチセンシティビティ(上下動への敏感性)を抑えるために、ピッチ・ヒーブ・ロール・ヨー変化などへのエアロ反応を徹底的に研究した。その結果、幅広い状況下でエアロ性能の維持に成功したんだ」
レギュレーションに異議を唱えるのではなく、与えられた規則の下で最上の方法(かなり際どくとも)を考えていく。これまで多くの成功を産んできたバーンのポジティブエンジニアリング思考だ。
「実は、B194のエアロ開発のコンセプトは、その後のエアロダイナミクスへの考えを大きく変えた。現在に続くエアロダイナミクスの“基礎”になっていると言っても過言ではないだろう。当時としては、かなり未来的思考法だったと思うよ」
エアロの天才、バーンを開眼させたマシンこそが、B194と言ってもよさそうだ。余談だが、94年のウイリアムズFW16はバーンが語っていたワイドレンジのエアロ効果を作れず、過激なピッチセンシティビティに泣き、名手セナでも開幕戦からスピン、コースアウトを重ねていた。ウイリアムズがこの問題に対処して、本来の速さを発揮するまでにはシーズンの後半まで待たなければならなかったが、「その時にはもうセナはいなかった……」とウイリアムズのエンジニアが悲しんでいたことを思い出す。
話を元に戻そう。バーンがB194で目指したものは、走行状態にかかわらず安定したダウンフォースが得られるエアロと、それを支持するビークルダイナミクスだった。そのためには、「パッシブサスペンションの研究開発は欠かせなかったが、結果的にB194はセッティング変更に対してしっかり反応するマシンになった」とバーンは明かす。
「B194には大幅な軽量化を施し、大量のバラスト搭載が可能になった。それらを床下に搭載することで大きく重心を下げられ、パッシブでの運動性も大幅に向上したんだ。B194以降、シャシーの徹底した軽量化も私の重要なマシンコンセプトのひとつになった」
のちにバーンはフェラーリへ移籍するが、軽量化を開発の中心のひとつに据えていて、F1-2000のマシンコンセプトでも大きな役割を担っている。その発想は、B194から受け継がれたものだといえる。
そして、マシン作りにおいて重要な要素である風洞に関してもバーンは対策を施した。
「マシン作り以前に、風洞での実験方法を大幅に見直す必要があった。B194の優れたエアロは、その改善なしにはここまで大きな成果を得られなかったはずだ」
バーンによれば、風洞ではヨー角反応、ステアリング反応などの開発もこの時点から行なっていたというが、実験段階の基礎から開発コンセプトに合わせていたことが功を奏したと言えるだろう。風洞の大切さにいち早く目をつけたということでも、バーンの功績は大きい。
94年のサンマリノGPでF1史を揺るがす大事件が起こると、FIAは急速に安全性を叫び始めた。シーズン中にもかかわらずレギュレーションは大幅に変更され、10㎜厚のプランク(スキッドブロック)を義務化、ディフューザーやウイング関連は厳しく規制、そしてインダクションボックスにはラム圧を抜く排出口まで開けられたのだ。空力とエンジンの性能を落して安全性を高めるというのがFIAの狙いである。本来なら相当大きな空力性能の変化があったはずだが……。
「不思議なレギュレーションをたくさん並べてきたが、あまり効果のあるものではなかった。ただ、プランクの設定はありがたかった。エアロ云々ではなく、そのおかげでフロアを傷めないで済むからね。とはいえ、ベルギーGPではミハエルが優勝したものの、プランクが縁石で削れて10㎜を下回ったという理由で、レース後に失格になってしまった。嘘みたいな話さ」
もちろん、それが実際の理由でないのは明らかで、どうやら政治的な理由だったようだ。事実、車検でプランクの厚みをピンポイントチェックされたのはB194だけで、他車のほとんどは車検の対象にすらならなかったのだから……。