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名車列伝

F1の歴史の中には時を越えファンの記憶に残るマシンがある。圧倒的な速さでシーズンを席巻したマシンのみならず、ユニークなアイデアや斬新なカラーリング、その美しいフォルムで我々を魅了した名車の数々をここに紹介。

フェラーリ126C2(1982年)

エンジン
フェラーリ Tipo021/2
1496.43cc 120度V型6気筒ツインターボ
ドライバー
27 ジル・ビルヌーブ/パトリック・タンベイ
28 ディディエ・ピローニ/マリオ・アンドレッティ
戦績
優勝3回
PP3回

 1982年、ビルヌーブとディディエ・ピローニを擁したフェラーリは、有力タイトルコンテンダーだった。それはコンビ2年目を迎えた両者が32歳と29歳とドライバーとして脂が乗っていただけでなく、同年投入された126C2の存在が大きい。

 79年にターボエンジンを持ち込んだルノーに続き、他チームに先駆けてターボエンジンを80年半ばに試作、81年には126Cに搭載して実戦投入したフェラーリ。信頼性はもちろん、ターボラグなどの問題が解決されたV6ターボのエンジンパワーは上がり続け、実戦初年度にしてビルヌーブが2勝(モナコGP&スペインGP)する。それはビルヌーブの腕によって挙げられたと言っても過言ではなく、ターボエンジンのパワーには誰もが驚いたが、実は126Cのシャシーはひどいもので、操縦性が悪かったのだ。

 それまでのフェラーリのF1マシンはすべて、1959年にフェラーリに入社したイタリア人、マウロ・フォルギエーリが手掛けていた。64年の158や70年代後半の312Tシリーズなど、フォルギエーリ作のフェラーリF1が栄冠に輝いたことは多々ある。しかしターボエンジンが活躍し始めた80年代に入り、彼の、特にシャシー理論はやや時代遅れとなっていた。

 そこでフェラーリは81年夏、最新シャシー理論に詳しいイギリス人デザイナー、ハーベイ・ポスルズウエイトを招聘した。マーチ、ヘスケスと渡り歩き、ウルフで名を成したポスルズウエイトは同年、フィッティパルディに属していたが、資金不足によりその才能を十分に発揮できず、さらに同チームの先行きが不透明だったのだ。ポスルズウエイトはすぐに、家族ともどもイタリアに移る決心をする。

 明けて82年1月8日、マラネロでポスルズウエイトがデザインした新マシン、126C2が発表された。ウルフ時代同様、アルミハニカム・サンドウィッチでシャシーを製作。当時の最新素材のカーボンファイバーより重いが、長期間の使用にはアルミが賢明とポスルズウエイトは経験から判断したのだ。カーボンファイバーの使用を前後バルクヘッドにとどめ、アルミハニカム使用にもかかわらず、リベット留めから接着剤による接合もあって大幅な軽量化を達成。幅を狭くしたモノコック自体は126Cから4.8kg、マシン全体では35kgも軽くなったという。

 まったく新しいカウル形状は風洞実験を重ねた結果であり、空力特性にも優れていた。また特徴的なフロントサスペンションのカバーはじめ、ポスルズウエイトがかつてデザインしたフィッティパルディF8の面影も見られた。

 完全なストレスメンバーとなったV6ターボエンジンは、そのマウント位置がかなり前方になった。エンジン開発に専任したフォルギエーリと彼が率いるグループは、KKK製の新仕様のターボチャージャーを採用。最高出力は580ps/11,800rpm(126C仕様は560ps/11,500rpm)を誇った。ブースト圧の変更により予選では600ps近くまで上げられるのではとも言われていた。

 前後サスペンションは新設計され、全長は4333mm、全幅が2110mm、全高が1025mm。ホイールベースは126Cより約6cm短い2657mm、前後トレッドは逆に広くなって1787mm/1644mmだ。なお、4年間使い慣れたミシュランに別れを告げ、タイヤはグッドイヤーを履いていた。

 迎えた第4戦サンマリノGP、レース中盤にはほぼ1-2を確定させたビルヌーブとピローニ。先行していたビルヌーブに優勝の権利があったのだが、燃費を考慮して終盤出されたペースダウンの指示を無視し、最終周にピローニがビルヌーブを抜き去り優勝してしまうのだ。79年にジョディ・シェクターを献身的にサポートして王座を獲得させたビルヌーブにとって、ピローニの行為はありえない、そして許されざるものだった。この時を境にふたりの間に会話はなくなる。

 続くゾルダーでのベルギーGP、運命の5月8日。予選最終セッションで、ビルヌーブは自分よりコンマ1秒ほど上回っていたピローニのタイムを破ろうとタイムアタックに出る。ところがスロー走行中のヨッヘン・マス(マーチ)がラインを譲ろうと進路変更。そのマーチの右後輪に乗り上げたゼッケン27の126C2は空高く舞い、激しく路面に叩きつけられた。マシンはふたつに割れ、シート後方がシートベルトのバックルごともぎ取られたためにビルヌーブは宙に放り出されてしまう。起こりえないような不運な事故だったが、エンツォ・フェラーリに愛され、跳ね馬に忠誠を誓った男が逝った。

 悲劇は止まらない。亡きビルヌーブを悼み、“サーキット・ジル・ビルヌーブ”と名付けられたばかりのモントリオールで開催された第8戦カナダGP。同シーズン初のポールポジションを奪取したピローニがエンジンストール、後方からスタートのルーキー、リカルド・パレッティ(オゼッラ)が時速160km/h以上で激突し炎上してしまうのだ。ピローニは無事だったが、パレッティは死亡した。

 そして第12戦ドイツGPの予選、ホッケンハイムでピローニがビルヌーブとまったく同じ目に遭ってしまう。暫定ポールだったピローニの126C2は雨の予選2回目、アラン・プロスト駆るルノーの右後輪に乗り上げて宙を舞い、プロストの頭上を越えて路面に叩きつけられた。フロント部分は大破し、ピローニは両脚を複雑骨折、左腕も骨折していた。126C2の残骸から救助されたピローニは大学病院にヘリコプターで緊急搬送され、長時間の手術の結果、幸いにも一命は取り留めた。そして治癒、リハビリ後の86年、F1復帰を目論むもうまくいかず、F1をドライブすることは二度となかった。

 ピローニは翌87年、パワーボートに活動の場を移す。しかしイギリスでの世界選手権レース、首位を争うピローニ駆るパワーボート(エンジンはランボルギーニV12×2基!)が運悪く石油タンカーによる大波に乗って宙を舞い、逆さまに海面に叩きつけられる大事故に遭ってしまうのだ。ボート自体はほとんどダメージを受けていなかったが、ピローニは同乗のジャーナリストら2名とともにほぼ即死だった。なおピローニの死後、彼のパートナーが双子を生み、「ジル」と「ディディエ」と名付けられている。

 その忌まわしいドイツGPでフェラーリを救ったのが、ビルヌーブ亡き後、ゼッケン27を委ねられたフランス人、パトリック・タンベイだ。事故で出走できなくなったピローニのポールポジションは空席でレースがスタート。予選5番手のタンベイは45周レースの19周目にはリーダーに立ち、2位ルネ・アルヌー(ルノー)は振動に悩まされフェラーリを追うどころではなかったのだ。ちなみにタンベイはジル没後、ジャックらの面倒を見ていた。

 もうひとり、フェラーリを勇気づけ、126C2の戦闘力の高さを実証したのが、ピローニに代わってゼッケン28を操った、イタリア系アメリカ人のマリオ・アンドレッティだ。78年F1世界チャンピオンは81年限りでF1フル参戦を終え、半ば引退状態(後に活動の場をアメリカに戻し、84年には4度目のCARTチャンピオンに就く)。しかし急遽参戦した第15戦イタリアGP、モンツァで多少は126C2に乗り馴れたタンベイを上回り、見事ポールポジションを奪取! 決勝ではタンベイに次ぐ3位と表彰台の一角を占めた。

 代役タンベイ、アンドレッティの活躍もあり、この年フェラーリはコンスタラクターズタイトルは奪取した。しかしドライバーズタイトルはわずか1勝ながら確実に成績を残したケケ・ロズベルグ(ウイリアムズ)の頭上に輝いた。第9戦オランダGPを制したピローニがそこでドライバーズランキング首位に立ち、事故前まで首位を守っていたことを思うとダブルチャンピオンの可能性は低くなかったはずだ。事実、残り5戦の欠場を余儀なくされても、ピローニの82年シーズンの最終成績は2位だった。またシーズン中盤から参戦したタンベイも終盤は振動による背中の痛みに悩まされたが、タイトルの目が見えたこともあったからだ。

「私がデザインしたマシンで初めての死亡事故だった。フェラーリに非難が集中したのは当然だが、ひどく気になった。構造に何らかの欠陥があるのではと問われたのだから」とポスルズウエイト。後のテストで剛性には何ら問題はなく、欠陥も見つからなかった。当時、高速での事故に伴う衝撃を理解している者がいかに少なかったかを物語っている。あの悲劇が起こらなければ、1982年はフェラーリ126C2が圧勝し、ジル・ビルヌーブかディディエ・ピローニ、どちらかが王座に就いたことだろう。

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