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F1ニュース

投稿日: 2014.10.01 00:00
更新日: 2018.02.17 03:13

【GPメソッド】鈴鹿で譲れない、ドライバーの誇り


 F1はこういうコースを走るために生まれてきたんだ――セバスチャン・ベッテルの言葉は、鈴鹿を語った名言のひとつ。1962年に建設されたサーキットが50年の時を経てなお、21世紀の空力マシンとともに“生きている"奇跡は、おそらく科学的には説明できない。速く走れば走るほど、空力ダウンフォースによるグリップが向上し……といっても、必ず限界は訪れる。バランスが取れたマシンならS字はドライバーに最高のフィーリングをもたらすが、リヤが不安定なマシンでこの区間を抜けるのがどんなに大変かは、コースサイドで見守っているファンもよく知っている。

 少し前までのシルバーストンなら、分解して組み直すと鈴鹿と同じようなレイアウトが可能なくらいコーナーのバリエーションが似ていた。でも、伝統のシルバーストンも鈴鹿と並んで称されることはない。ドライバーたちが唯一、並べて挙げるのは「スパ」だ――鈴鹿を走って得る感覚は、自然の起伏に拠るところが大きい。コーナーの形状だけでなくバンクや高低差とレイアウトの順序が、優れたドライバーの体内に生まれつき備わった“リズム"を呼び覚まし、走れば走るほどそのリズムが高揚していくのだ。年々発達するエアロダイナミクスが、そのリズムを加速した。2年のブランクを経て09年にF1が戻ってきたとき、レッドブルを駆るセバスチャン・ベッテルはゴール後もその興奮を隠そうとせず、鈴鹿は「神の手でつくられた」コースとなった。

 本当は、鈴鹿で「永遠に走り続けたい」と思うほどの感覚を得るには、ラップタイムではなく自らの手足のように反応するマシンが必要で、ミスを許容しないコースは身体的にも精神的にも実はとても厳しい。それでもドライバーたちがこのコースを愛するのは、ドライバーとしての原点に回帰できるからだ。ひとつひとつが大きなチャレンジであるコーナーは「これがやりたくてレーシングドライバーになった」という気持ちを思い出させてくれる。だから鈴鹿の週末、彼らはみんな子供のように陽気だ。

「鈴鹿を“嫌い"って言えるドライバーはいないと思います。そんなことを言ったら、ドライバーとしての自分を否定することになるから」--これは、佐藤琢磨の名言。