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ル・マン/WECニュース

投稿日: 2015.12.23 00:00
更新日: 2018.02.17 12:11

再び遠のいた“夢”。ニッサンのル・マン挑戦史


 23日、ル・マン24時間を含むWEC世界耐久選手権のLMP1クラスに参戦してからわずか一年足らずながら、16年シーズンの参戦を取りやめることを発表したニッサン。しかし、ニッサンにとってル・マンは、長らく優勝を夢見てきた特別な舞台でもある。1986年から始まった、ニッサンのル・マンへの挑戦の道筋を振り返った。

 83年からグループC活動をスタートさせたニッサンは、84年にニスモを設立してレース活動を強化。85年には、富士スピードウェイで開催された当時の世界耐久選手権でマーチ85Gが優勝を果たし、86年からのル・マン挑戦を決めた。

 ル・マン初挑戦となった86年は、マーチ86Gとマーチ85Gの2台体制で参戦。32号車の85Gが16位完走を果たす。その後も毎年ル・マンへの挑戦を続けたニッサンは、89年からトヨタやマツダとともにWSPC世界プロトタイプカー選手権へのフル参戦を開始する。

 その89年は、ローラと共同開発したR89Cに、3.5リッターV8ツインターボのVRH35エンジンを搭載。迎えた6月のル・マンには日本のニスモ(23号車)、ニッサン・モータースポーツ・ヨーロッパ(NME/24号車)、北米IMSAで最強の存在となっていたエレクトラモーティブ(25号車)の3台体制で参戦。ポテンシャルを見せつけるも、最終的には3台ともリタイアに終わった。

 翌90年は、ローラ製のR89Cをベースにフロントサスペンション等を改良したR90CKを、NMEと、そして北米のニッサンの活動を担うNPTIが2台ずつ投入。また、ニスモも日本独自のR90CPを開発し、ニッサンワークスだけで総勢5台、サテライトチームも含め総勢7台という体制でル・マンに臨んだ。