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スーパーGTニュース

投稿日: 2015.11.06 00:00
更新日: 2018.02.17 11:25

Studie Z4、予選12番手から表彰台の痛快レース


BMW Sports Trophy
Team Studie

SUPER GT in KYUSHU 300km
予選12番手からポディウムへ
3位フィニッシュの痛快なレース

予選 Q1:10位通過 Q2:12位
2015年10月31日(土)予選(天候:晴れ コースコンディション:ドライ)
決勝 3位入賞
2015年11月1日(日)決勝(天候:曇りのち雨 コースコンディション:ドライのちウェット)
場所:オートポリス(大分県日田市/全長4.801km)

雨粒が落ちてコンディションが悪い中、本来の勝負強さを発揮

 気温7度、路温8度。
 紅葉が広がりはじめた阿蘇の朝はキンキンに冷えたコンディション。予選前の公式練習は荒聖治選手がステアリングを握っていた。

「アンダーだね…」と無線越しに荒選手。

 レコードラインがダスティでグリップしない…と思われたのだが、それが掃けた後もアンダーステアに改善は見らなかった。マシンのセットアップで改善を図る。スプリングの前後バランス、スタビライザーの硬さ。試したものの手応えのある変化がみられない。時間がない中、煮詰まった状態で拘泥する。

 ヨルグ・ミューラー選手に交替したもののアンダーステアに悩まされる。しかもGT500のコースアウトにより赤旗中断。貴重な走行時間が失われていく…。

 2014年を振り返ると、やはり時間に悩まされたオートポリスだった。このコース、初めての走行となるミューラー選手がアウトラップでコースアウト。グラベルでストップ。大きなダメージもなく安堵。ところが、この後ミッショントラブルに悩まされた。シフトチェンジが働かず、公式練習の走行を続けられないどころか、予選も出走できない事態に。結果、決勝は最後尾からのスタート。なにより、ミューラー選手がほとんどコースを走らずに決勝を迎えたのが痛手だった…。

 2015年こそ、決勝までにミューラー選手がラップを重ねられるようにするという方針は序盤からつまずいた。それ以上にアタマを抱えることになったのはJAF勢と、GTA独自のワンメイクであるマザーシャーシ勢のラップタイムの速さ。公式練習をみるかぎり、トップはNo.7 Studie BMW Z4より約2秒速い。決勝レースもさることながら、予選Q1突破は激戦区になることが確実視された。そこでコースを知っている荒選手をQ1に、ほとんどラップできていないミューラー選手をQ2に充てることにした。

 予選Q1。荒選手は3周目に1分45秒027を出して6番目に滑り込むものの、他のマシンがアタックを開始すると、8番手、9番手とジリジリ下がり始める。安全をみれば、もう少しラップライムを削っておきたいところ。

「これ以上は無理だろうから戻るよ…」と荒選手。

 同じBMW Z4 GT3であり、サクセスウエイトがやや軽いNo.51 LMS LMcorsa Z4が1分45秒217であることを考えると、マシンとタイヤのポテンシャルを使い切ったタイムであることは明確。タイムにこれ以上の伸び代はない。

 幸いにもQ2へ進出できる13台中、10番手にとどまることができた。蓋をあけてみればQ2進出の13台すべてがオートポリスにおけるGT300のレコードタイムを上回っていた。従来のレコードタイムを塗り替えたマシンだけが生き残れるという熾烈さ。

 Q2に挑むミューラー選手。結果は1分45秒464で12番手。Q1より後退してしまったのは、まだミューラー選手がこのコースに習熟していない可能性を残していた。