F1 チーム詳細

F1 | レッドブル・レーシング 2020年

レッドブル・レーシング 2020年

オーストリア

●チーム本拠地:イギリス・ミルトンキーンズ
●デビュー:2005第1戦オーストラリアGP
●活動年:2004年~
●出走数:286
●勝利数:62(初優勝:2009年第3戦中国GP/最新優勝:2019年第20戦ブラジルGP)
●PP獲得数:62(初PP:2009年第3戦中国GP/最新PP:2019年第20戦ブラジルGP)
●コンストラクターズタイトル:4(2010~13年)
●ドライバーズタイトル:4(2010~13年)

2019年F1成績
●PP:2回
●優勝:3回
●FL:5回
●表彰台獲得率:21.42%
●入賞率:76.19%
●完走率:92.85%

●主要チームスタッフ:クリスチャン・ホーナー(チーム代表)
エイドリアン・ニューウェイ(チーフテクニカルオフィサー)
ロブ・マーシャル(チーフエンジニアリングオフィサー)
ダン・ファロウズ(ヘッド・オブ・エアロダイナミクス)
ポール・モナハン(チーフエンジニア<カーエンジニアリング>)
ピエール・ワシェ(テクニカルディレクター)
ジョナサン・ウィートレイ(チームマネージャー)
ポール・フィールド(ヘッド・オブ・プロダクション、サプライチェーン&ロジスティクス)

■レッドブル プロフィール

 飲料メーカーとして財を成したレッドブルは、世界中の多くのスポーツ競技に積極支援を行なうことで知られる。そのなかでも、F1への関心と関与は比較的早い。かける予算も、破格の額だ。

 F1への参入は1995年、まずザウバー(現アルファロメオ)のスポンサーとしてだった。だが当初からいちスポンサーに留まる意図はなく、チームの株式を一部購入し、エントリー名も『レッドブル・ザウバー』に改めさせた。

 99年にはクラスとしていまのFIA-F2に当たる国際F3000選手権に自前チームを組織し、そこからF1ドライバーを誕生させようと計画する。このときから、いまなおレーシングアドバイザーを務め、ドライバー選定に絶大な影響力を持つヘルムート・マルコと総帥ディートリッヒ・マテシッツとの深い信頼関係が始まった。

 2001年にはより広範囲で才能ある若手発掘のため、ドライバー育成機関を設立。それらはいずれも『レッドブル・ジュニアチーム』との名称で、マルコを責任者とする。

 だがドライバーへの口出しにザウバーは難色を示し衝突、01年シーズンの終了をもって所有の株式を売却。それでも04年までは、スポンサーには残留した。02年に向けては息のかかったドライバーをアロウズに送り込むことに成功し、これもスポンサーを行なったが、チームは財政難から年の半ばで消滅してしまう。

 次の一手は、04年のシーズン終了後に打たれる。フォードが経営戦略の見直しからF1撤退を決め、ワークスチームとして参戦させていた『ジャガー・レーシング』を売却。レッドブルはその買い手となった。『レッドブル・レーシング』の誕生だ。

 このチームの系譜をたどると、97年からF1に参戦したスチュワート・グランプリに行き着く。F1で3度の王者に輝いたジャッキー・スチュワートと息子のポールが、フォードからの支援で創設。3年目の99年に1勝するなどしたが、実質的にチームを仕切るポールの健康状態悪化から、この年でフォードが買い取った。フォードは巨額予算をかけ翌00年から傘下ジャガー(当時)の名前で参戦させるが、5年間で1勝も挙げることはなかった。レッドブルは拠点は英国のままとする一方で、チーム国籍は本国オーストリアに変更した。

 代表には当時まだ31歳ながら、国際F3000で優れた運営手腕を振るっていたクリスチャン・ホーナーを起用(当初はスポーティングディレクターの肩書)。そして、マルコ-ホーナーの組織トップの体制はいまも変わっていない。

 デビューの05年はジャガーから継続のコスワース、06年はフェラーリからのエンジン供給を受ける。だが周囲を驚かせたのは05年の11月、エイドリアン・ニューウェイの獲得発表だ。翌06年2月からチームに合流。参戦まだ1年目の新参が、F1が誇る天才シャシーデザイナー招聘に成功した。06年型初期デザインに彼が関わることはなくも、この年の第7戦モナコで3位初表彰台。07年はルノーにエンジンをスイッチしたが、チーム成績は停滞する。

 そして翌08年は、予想をもしない状況が起きる。ミナルディを買収し06年から若手育成のセカンドチームとして参戦させていたトロロッソで、セバスチャン・ベッテルがF1初優勝を飾る。当時は規定の線引きが曖昧で2チームが基本的に同一シャシーであるがゆえの、『本末転倒』だ。

 翌09年、空力規定が変わってニューウェイの頭脳が真価を発揮。昇格のベッテルが第3戦中国で初優勝をもたらし計4勝、残留のマーク・ウェバーも2勝して前年7位から一気に2位までコンストラクターズランキングを上げる。

 10年からはより成熟度を増した設計思想とそのコンセプトへのルノー全面協力で、ベッテルがドライバーズ選手権、チームはコンストラクターズ部門を4連覇した。ジュニアチーム出身のドライバーで王座獲り、その理念は結実をみた。裏では自国サーキットの『A1リンク』に大規模投資で再建工事を実施、レッドブル・リンクと改称して、14年からのF1オーストリアGP復活開催にこぎ着ける動きもあった。

 しかし、14年からF1にパワーユニット(PU)規定が導入されると、王座から陥落。ルノーとの関係が崩れた。18年はグループとしてのジャッジで、トロロッソの使用PUをホンダに切り換えさせる。そして約半年をかけて2社の比較検討を行ない、翌19年からホンダとの新パートナーシップを決断。その発表から2戦後のレースとなった第9戦オーストリアでは、復活5回目にしてマックス・フェルスタッペンがチーム悲願のレッドブル・リンク初制覇を果たす。

 ホンダとのコンビ1年目はフェルスタッペンがオーストリア連覇で、9戦目にして初勝利。年間を通じてはそのフェルスタッペン3勝に留まり、散発的な勝利もコンストラクターズランキング3位も過去2年のルノー時代と変わらず。

 だがフェルスタッペンはホンダPUへの好評価を口にし、チームもそれに同調。ホンダとの契約を当初の2年から1年延長し、20年は王座奪回へさらに同盟関係を強化して臨む。

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