ドイツ
生年月日 | 1998年2月15日 |
国籍 | イギリス |
身長 | 185 cm |
体重 | 66 kg |
生年月日 | 1985年1月7日 |
国籍 | イギリス |
身長 | 174 cm |
体重 | 66 kg |
●チーム本拠地:イギリス・ブラックレー
●デビュー:1954年第4戦フランスGP
●活動年:1926年~
●出走数:249
●勝利数:124(初優勝:1954年第4戦フランスGP/最新優勝:2020年第15戦バーレーンGP)
●PP獲得数:135(初PP:1954年第4戦フランスGP/最新PP:2020年第16戦サクヒールGP)
●コンストラクターズ・タイトル:7(2014~21年)
●ドライバーズ・タイトル:9(1954~55, 2014~20年)
2021年成績
●PP:9回
●優勝:9回
●FL:10回
●表彰台:28回
●入賞:35回
●完走:39回
●主要チームスタッフ:
トト・ウォルフ(チーム代表&CEO)
ハイウェル・トーマス(メルセデスAMGハイパフォーマンス・パワートレイン・マネージングディレクター)
ジェームス・アリソン(テクニカルディレクター)
マイク・エリオット(テクニカルディレクター)
アンドリュー・ショブリン(トラックサイドエンジニアリングディレクター)
ニック・デ・フリース(リザーブドライバー)
メルセデスは過去、1954、55年にF1に参戦していた。出走した12戦で9勝という高い勝率を残し、ファン・マヌエル・ファンジオを2年連続でワールドチャンピオンに導く。『シルバーアロー』の異名はこれより以前のモータースポーツ活動からのもので、車体が『銀』色で『矢のように』速いというところから来ている。
ところが55年、ル・マン24時間レースにも参加していたメルセデスは、ドライバーおよび多数の観客を巻き込む死亡事故を起こしてしまう。責任をとる形でメルセデスは、この55年を最後にモータースポーツのワークス活動から手を退き、長い眠りにつく。
巨人が目を覚ますのは、そこから30年ほども経った80年代半ばになってからだ。85年のル・マンで、のちにF1に参入することにもなるスイスのコンストラクター、ザウバー(現F1での名称はアルファロメオ)にエンジンを供給した。ザウバーはこのメルセデス・エンジン搭載車を、翌86年から当時の世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)に本格投入。勝利を挙げるなどして、メルセデスからの信頼を深める。
そして88年、メルセデスはモータースポーツの第一線復帰を公表した。同年からWSPCではザウバーをワークスチーム化し、『チーム・ザウバー・メルセデス』を名乗った上で、翌89年のル・マンに勝つ。選手権は89、90年と2連覇した。
ここでメルセデスの目は、F1に向き始める。91年を最後にしてこの年からスポーツカー世界選手権(SWC)と名称を変えたシリーズへの参加を取り止め、ザウバーにF1への参戦準備を促す。それと前後して英国の名門レーシングエンジンビルダー『イルモア』に資本参加、のちに完全買収する(現メルセデスAMGハイパフォーマンス・パワートレーンズ)。
ザウバーは93年からF1に参入、1年目はイルモアの名前でエンジン供給がされた。そしてその名称は翌94年、メルセデスに改められる。
95年からはマクラーレンに供給先を変え、98年にミカ・ハッキネンがドライバーズ部門、チームはコンストラクターズ選手権を制覇。メルセデスはまず、エンジンサプライヤーとしてF1の頂点に返り咲いた。
このマクラーレンを買収してワークス化するという説はあったが、事態は動かず、公式的な94年の復帰から15年以上が過ぎた。そして09年11月、とうとうその日がやって来る。
メルセデスの親会社ダイムラーはアブダビの政府系企業と組み、この年エンジンを供給し、選手権2冠を果たしたブラウンGPの買収を発表する。約1年前にホンダが手放したチームだ。
組織や施設として、このチームは99年からF1に参戦したブリティッシュ・アメリカン・レーシング(BAR)に遡る。ブリティッシュ・アメリカン・タバコ(BAT)の資金を背景に97年11月、古参チームのティレルを買収。98年はティレルのままで存続させたが、スタッフを含めた一切の資産は引き継がず、99年に向けては本拠地もブラックリー移設となる新チームを発足させた。そこに00年から復帰となったホンダが、エンジン供給を開始。F1のタバコ広告禁止を受けBATが05年で撤退したことから、翌06年からホンダがワークス化した。
だが、そのホンダも08年限りで第3期活動を突如打ち切り、チーム代表を務めていたロス・ブラウンが引き受ける形で09年を過ごす。いずれ資金的に枯渇することは見えており、09年を制した技術力も買われての買収だった。チームを『メルセデスGP』とし、翌10年からのワークス参戦が始まる。
ドライバーとしてはまずニコ・ロズベルグ起用を決め、ミハエル・シューマッハをF1に復帰させて『オール・ドイツ』の体制とした。
だが10、11年と未勝利、年間のコンストラクターズランキングも2年とも4位に留まる。特に2年目は、表彰台すら1度もなかった。
これを重くみた本社役員会は、翌12年からの予算増額に踏み切る。チーム名も『メルセデスAMG』に改められた。そして12年、ついに第3戦の中国でニコ・ロズベルグが初勝利を達成する。だが王座への前進はなく、チームはルイス・ハミルトンの招聘へ動き、引退するシューマッハーの後釜とした。
13年はシャシー性能にかなり改善がみられ、ロズベルグとハミルトンが計3勝を挙げてコンストラクターズランキングを2位まで浮上させる。だが、より重要だったのは、翌14年のF1パワーユニット(PU)既定導入を見据えた水面下での開発だ。メルセデスのPU性能は、14年開幕から他社を圧倒。19戦16勝はチーム年間最多勝記録となり、ハミルトンが自身2度目のドライバーズ王座、コンストラクターズ選手権も制覇した。
15年も同じく16勝、ハミルトンが連覇。16年はレース数も21と増えたが年間勝ち星19とさらに更新、ロズベルグが自身初の王座を決めた。
ロズベルグはこれを花道に引退したが、後任にバルテリ・ボッタスを迎え、17~19年とさらにハミルトンとの間で選手権2冠をキープ。コンストラクターズ連覇は6として、99~04年のフェラーリによる史上最長と並んだ。
2020年は人種差別に対する抗議運動が世界的に広まったため、これを支持したメルセデスはマシンやレーシングスーツのカラーをシルバーからブラックに一新。盤石の体制で迎えた2020年は、ルイス・ハミルトンがミハエル・シューマッハーの持つ最多勝利記録を塗り替え、そのシューマッハーと並ぶ7度目のタイトルを獲得。コンストラクターズ選手権では7連覇を達成し、フェラーリの持つ6連覇という記録を更新した。
新型コロナウイルスの影響を受け、ハミルトンが第16戦サクヒールGPを欠場した際には育成ドライバーのジョージ・ラッセルを起用。無線トラブルやタイヤのパンクで優勝を逃したが、ラッセルはボッタスに負けないパフォーマンスを見せた。
ボッタスが早々に21年の契約を締結した一方で、ハミルトンとチームとの本格的な交渉はシーズン後にスタート。双方の意見の相違により交渉は難航しているとの噂もあったが、21年2月にようやく1年契約の締結が発表された。
ハミルトンとボッタスのペアで5年目を迎えた2021年は、コンストラクターズ選手権8連覇という前人未到の記録を打ち立てた。ドライバーズ選手権では、ハミルトンとマックス・フェルスタッペン(レッドブル)がシーズン開幕から接戦を展開。接触による両者リタイアも経験し、シーズン後半はフェルスタッペンがリードを保つが、ボッタスは献身的にチームをサポートし、ハミルトンは終盤に3連勝を記録し同点でアブダビGPを迎えた。しかしセーフティカー運用に関するFIAの不手際で不利な立場に立たされ、ハミルトンはタイトルを逃す結果に終わった。2022年はボッタスがアルファロメオへ移籍し、育成ドライバーのジョージ・ラッセルが加入する。
技術規則が新しくなり、グランドエフェクトカーが導入された2022年、メルセデスは大いに苦戦した。『ゼロサイドポッド』と呼ばれるサイドポッドが極端にスリムなデザインのW13を投入したメルセデスだったが、序盤からマシンが上下に振動するポーパシング現象に悩まされ、レッドブルとフェラーリに遅れをとった。それでもハミルトン、新加入のラッセルは時に表彰台を獲得する走りを見せたが、ハミルトンはまさかの未勝利に終わった。一方のラッセルはブラジルで初優勝をあげ、選手権ではハミルトンを上回る4位でシーズンを終えた。
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