Text:Mat Oxley Translation:AKARAG

 MotoGPの熱心な支持者であるジャック・フィンドレーは1958年に初めてグランプリに参戦し、1978年に最後のレースに出た。彼はレースに勝つと、その後数週間は普段よりも良い食事をしたという。

 1982年、ノガロで行われたフランスGPで同様のことが起きた。私は現地で、英国のプライベーターのクリス・ガイの手伝いをしていた。シーンやケニー・ロバーツやその他の数名が日曜の朝にパドックを去っていったので、私は何が起きているのか様子を見ようと、サーキットのゲートまで行った。

 フランスのファンたちはシーンが彼のロールス・ロイスで会場を後にするのを目にし、彼らがストライキをすることを知った。ファンたちは寄せ集めのプライベーターチームの集団が走るのを見るために、高い金を払うつもりはなかった。だから彼らは境界のフェンスを踏みつけてサーキットになだれ込み、ミケル・フルッシが500ccクラスで優勝するのを観戦した。1年後、フルッシはこの世を去った。

 1989年のミサノでまたストライキが起きた。コースは雨のなか不安定な状況で、ケビン・シュワンツやウエイン・レイニー、エディー・ローソン、マイケル・ドゥーハン、ワイン・ガードナーといったトップライダーたちは全員、雨が降り出すと最初の数周でピットに入ってしまった。大雨のなかレースは再スタートされたが、地元のヒーローであるピエール・フランチェスコ・キリが英国のプライベーターのサイモン・バックマスターを抑えて優勝を飾った。

 レースの間中、ローソンにシュワンツ、そしてストライキに参加した仲間はピットに立ち、ストに参加しない、いわゆるスト破りのライダーたちを罵っていた。所属していたイタリアのチームからレースに出るよう言われていたキリは、レース後に表彰台ですすり泣いていた。なぜなら彼は自分が仲間のライダーを裏切ったことを分かっていたからだ。

 こうした戦いのすべては、危険が大きすぎると考えた、十分なほどに命を危険にさらしてきたライダーたちによって争われ、勝利はもぎ取られた。いつのことだったか、バイクレーサーの仕事は何があろうと彼(または彼女)の命を賭けることだと考える人々から、彼らは全員意気地なしとか、プリマドンナなどと呼ばれた。

 主催者とファンたちは本末転倒だと文句を言った。日曜のシルバーストンでの一部のファンの文句とまったく同じものだ。

 イギリスGPに出場したライダーたちには、何年も前に権力側と悪意に満ちた希望のない戦いを繰り広げた先達への感謝が足りていない。1982年にライダーたちは彼らの理念の一助となるよう、元レーサーのマイク・トリンビーを雇い、彼らの権利を賭けて戦うことにした。トリンビーは現在チームの協会IRTA(国際ロードレーシングチーム)の責任者だ。

イギリスGPで行われたIRTAのミーティング
イギリスGPで行われたIRTAのミーティング

「私が着任するまでには、もっとランオフエリアがあったが、グラベルベッドはなかった。だからフェンスが張られていたんだ。四輪の連中がクルマをスローダウンさせたかったからね」とトリンビーは語る。

「問題だったのはフェンスが木の支柱に張られていたことだ。フルッシは1983年にル・マンでそうした支柱のひとつのせいで亡くなっている。これではレーストラックのまわりに木を植えているようなものだよ! 我々はサーキット側と多くの議論を行なった。我々は自分たちで多くのフェンスを取り除くことになった」

「我々が求めていたのは、ライダーがクラッシュした後に減速させるために、徐々に崩れていくようなものだ。昔懐かしい干し草の塊のようにね。1983年のムジェロでサーキットの人たちがフェンスを取り外して我々に言ったのを覚えている。あんたたちの干し草はトラクターに積んであそこに置いてあるから、行って使いな、と。我々はそうしたよ。我々とライダーたちでね」

「1986年にIRTAが設立されて、我々には正式な窓口ができた。他のターニングポイントは、1992年にドルナが参入したことだ。彼らとの取り決めは、我々はレースをしたくない場所ではどこでもレースをする必要がない、というものだった。今では、誰かが新しいサーキットを設計するときは、我々がバイク向けに求めることを組み込んでくれる。状況は完璧とは言えないが、可能な限り近いものになっている」

 それゆえに、MotoGPは確かにそれほど危険にはならないかもしれない。なぜなら一次的、二次的な安全策がそのようなレベルにまで進化してきているから、ということだろうか? それは真実だが、今では考慮すべき新たな危険がある。

■近年のMotoGPで危険視すべきは“スピード”

 第一にスピードだ。最高のMotoGPバイクは時速350キロを超えることができる。そのスピードでクラッシュしたら、神のみもとへ行くことになる。2013年にマルク・マルケスがムジェロで時速209マイル(約336キロ)で転倒したとき、彼はバイクの右側から落ちることで、深刻な怪我を免れた。

 もし彼がコンクリート製のウォールが立ちはだかるもう一方の側に落ちていたら、何が起きていたか誰に分かるだろう。第二に、レースは現在の技術ルールのおかげで、ハンドルバーとハンドルバーが時速300キロで触れ合うような、これまでにない接近戦になっている。

 こうしたすべての理由から、一部のライダーは、“マニアック”と呼ばれるアンドレア・イアンノーネ自身でさえ、すべてが少々行き過ぎではないかと考えている。「今ではより危険になっているのは確かだね」とイアンノーネは語る。

アンドレア・イアンノーネ/チーム・スズキ・エクスター
アンドレア・イアンノーネ/チーム・スズキ・エクスター

 土曜にシルバーストンで大雨が降らなかったら、ラバットと他のライダーたちはクラッシュしなかっただろう。レースは行われ、その先にあるものは無視されただろう。雨が問題ではなかったのだ。問題はハンガーの終わりやコースの他の場所にあった水たまりにある。数百万ポンドをかけて行われたまずい再舗装の作業のせいで、雨水がアスファルトに染み込んでいかなかったからだ。

 MotoGPラウンドの数カ月前に、雨のなかシルバーストンを使用した英国モーターサイクルクラブのレーサーや、フォーミュラ・フォードのドライバーも、水たまりやアクアプレーニング現象について不満を訴えていた。

 アクアプレーニングはバイクで走行中に起きたらおそらく最も危険な現象だ。タイヤが水の上に乗り、レーストラックに接地できなくなるのだ。それは氷の層の上を走るよりも危険だ。スーパーマンかよほど幸運でもないかぎり、クラッシュする。

「スロットルを閉めたとき、6速でストレートの場所でコントロールを失った。ブレーキをかけることすらしなかった」とフリー走行4回目のストウでコースを外れたライダーのひとりであるカル・クラッチローは語った。

「明日大雨が降るようなら、誰もレースをフィニッシュできないだろう。問題なのは雨のなかを高速で走るってことだ。路面は鏡のようだったし、水も多く残っていた」

 路面の水はコース最速の部分の唯一の問題ではなかった。アスファルトは先月シルバーストンでレースを行なったF1マシンのチタン製スキッドパンや、MotoGPラウンドの前週に行われた耐久レースのマシンよってガラスのようにつるつるに磨かれていた。

 新たな路面のバンプを減らす作業が最近行われたが、問題を増やしただけだった。作業員はグラインダーでアスファルトの盛り上がった部分を取り除いたが、そのせいでグリップが大幅に減ってしまったのだ。

 重要なのは、主催者が昔のように少数のライダーたちにレースをさせ、分裂させ、グリッドを制圧することを許可しなかったことだ。もしトップライダーたちがコースがあまりにも危険だと考えたら、主催者側もあまりにも危険だと考えるべきなのだ。

 雨の中、レースが強行されていたらなにが起きたか? もしライダーたちがサイティングとウォームアップラップを行っていたら、ストウコーナーで多重事故が起こっただろう。

 24人のライダーが水しぶきのなか、すべりやすい場所でポジションを争うのだから。そしてラバットの骨折した足以上の事態について嘆くことになっただろう。

 私の計算では、2年前にカタルーニャでランオフエリアに飛び出したルイス・サロムが、死亡した100人目のグランプリライダーだ。もしサロムが命を落とした史上最後のGPライダーとなったら素晴らしいことだ。だがそうはならないだろう。

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