MotoGPクラス5シーズン目を迎えた2010年。ヤマハのホルヘ・ロレンソが勝利を重ねるなか、ペドロサは終盤まで逆転チャンピオンの可能性を残していた。そんななか迎えた第14戦日本GP初日フリー走行で、ペドロサは転倒してしまう。鎖骨を骨折して終盤3レースを欠場し、チャンピオン争いからは離脱することになった。それでもランキング2位を獲得する活躍を見せている。

2011年、レプソル・ホンダ・チームは3台体制でシーズンに挑んだ。ライダーはペドロサ、ドヴィツィオーゾ、そしてドゥカティから移籍したケーシー・ストーナーの3人だ。ペドロサとストーナー、ロレンソの3人を“3強”と称していたのはこのあたりだろう。バレンティーノ・ロッシがドゥカティに移籍し、苦戦を強いられた時期でもあった。

ペドロサは開幕戦カタールGPから2戦連続で表彰台を獲得。第3戦ポルトガルGPでは優勝を飾って好調なシーズン滑り出しを見せていたが、第4戦フランスGPで、マルコ・シモンチェリと接触して転倒。右鎖骨を骨折して3戦の欠場を余儀なくされた。第9戦ドイツGP、第15戦日本GPで優勝を果たしたものの、ケガと欠場が響きランキングは4位にとどまった。
その翌年、2012年はマシン規定が変更となったシーズンだ。エンジン排気量の上限がそれまでの800ccから1000ccに引き上げられ、ホンダはRC213Vを投入。チーム体制も3台から2台に戻り、ペドロサのチームメイトは2011年王者のストーナーひとりとなった。
ちなみに、2014年に廃止されたCRT(クレーミング・ルール・チーム)というレギュレーションも導入されたのがこの年だ。CRTとは、オリジナルフレームに量産車ベースのエンジンを搭載したCRTマシンで参戦可能とするもの。参戦台数の増加をねらった制度だったが前述のとおり2年で廃止されている。
このシーズン、ペドロサは第12戦チェコGP終了時点で、ポイントランキングトップのロレンソから13点差のランキング2番手につけていた。残るレースは6戦。チャンピオン争いも佳境に差し掛かろうかというところだった。
第13戦サンマリノGPの決勝レースを、ペドロサはポールポジションスタートで迎えていた。そのグリッド上でアクシデントは起きた。カレル・アブラハムのマシンがエンジンストール。再スタートを待つ間にペドロサのRC213Vに装着されたタイヤウオーマーが、外れなくなったのだ。これによって最後尾スタートのペナルティを科されたペドロサは、オープニングラップでエクトル・バルベラと接触して転倒リタイアとなってしまう。
ペドロサは『現役引退のペドロサが明かす胸中。「いつか必ずタイトルを獲れると信じていた」/特別インタビュー前編』(12月14日掲載)のなかで、このレースが“一番悔しかったレース”だと語っている。

2012年、ペドロサは全ライダーのなかで最多の7勝を挙げランキング2位を獲得した。これは、自身としてもMotoGPクラスにおける最多勝利数であり、最多ポイント数を重ねたシーズンでもあった。
この年をもって、チームメイトだったストーナーが引退。そして2013年、ペドロサは新たなチームメイトを迎えることになる。マルク・マルケスだ。
ダニ・ペドロサ 2006年~2012年リザルト
シーズン | クラス | 参戦GP数 | 優勝 | 2位 | 3位 | 表彰台獲得数 | ポール | バイク | ポイント | ランキング |
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2006 | MotoGP | 17 | 2 | 2 | 4 | 8 | 4 | Honda | 215 | 5 |
2007 | MotoGP | 18 | 2 | 3 | 3 | 8 | 5 | Honda | 242 | 2 |
2008 | MotoGP | 17 | 2 | 5 | 4 | 11 | 2 | Honda | 249 | 3 |
2009 | MotoGP | 17 | 2 | 3 | 6 | 11 | 2 | Honda | 234 | 3 |
2010 | MotoGP | 15 | 4 | 5 | 0 | 9 | 4 | Honda | 245 | 2 |
2011 | MotoGP | 14 | 3 | 4 | 2 | 9 | 2 | Honda | 219 | 4 |
2012 | MotoGP | 18 | 7 | 4 | 4 | 15 | 5 | Honda | 332 | 2 |
ペドロサがMotoGPで歩んだ軌跡【3】へ続く
