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投稿日: 2019.12.27 18:45
更新日: 2019.12.27 18:41

通算5度のタイトルホルダー、ホルヘ・ロレンソがMotoGPで走り続けた18年/(2)最多ポイント数で初タイトルを獲得


MotoGP | 通算5度のタイトルホルダー、ホルヘ・ロレンソがMotoGPで走り続けた18年/(2)最多ポイント数で初タイトルを獲得

 ディフェンディングチャンピオンとして挑んだ翌2011年シーズン。ロレンソと同じヤマハYZR-M1を駆るチームメイトとして競い合ってきたロッシが、ヤマハからドゥカティへと移籍。さらにはドゥカティのエースライダーとして活躍してきたケーシー・ストーナーがホンダに移籍するなど、トップライダーたちの配置が大きく変わった。そうしたなかでロレンソは、名実ともにヤマハのファクトリーチームのエースとして戦っていくことになる。

 ホンダに移籍したストーナーがチャンピオンシップをけん引したこのシーズン。ロレンソはシーズン中盤までストーナーに食らいついていたが、ストーナーが少しずつポイント差を広げていった。

 また、ロレンソはシーズン終盤の第16戦オーストラリアGPの決勝日、ウオームアップ走行で転倒して左手薬指を負傷。この怪我によりロレンソはレースと第17戦マレーシアGPを欠場することになる。最終的にロレンソはランキング2位にとどまり、チャンピオンはストーナーが獲得した。

 この2011年シーズンでは、次第に頭角を現し始めていたマルコ・シモンチェリ(サンカルロ・ホンダ・グレシーニ)が、第17戦マレーシアGPの決勝レース中の事故により他界。グランプリ全体が、深い悲しみに包まれた。

 マシンの最大排気量が1000ccへと引き上げられた2012年シーズン。排気量の変更とともに、CRT(クレーミングルールチーム)という新たな参戦形式が導入されたシーズンでもあった。CRTとはオリジナルのフレームに量産ベースのエンジンを搭載したマシンで戦うもので、リーマンショックから続く世界的な経済状況の悪化により減少傾向にあった、MotoGPクラスのエントリー台数を確保するために生まれたルールだった。

 ロレンソは開幕戦カタールGPを優勝で飾ると、シーズン序盤から快進撃を続けた。ロッシはドゥカティで苦戦を強いられ続けており、また、前年王者のストーナーはコンスタントに優勝と表彰台を獲得していたが、第11戦インディアナポリスGPの予選で転倒。右足を負傷し、第12戦チェコGP以降の3戦を欠場してチャンピオン争いから脱落する。なお、ストーナーはこの2012年シーズンをもって現役を引退した。

 2012年シーズン、ロレンソの前に立ちはだかったのはレプソル・ホンダ・チームのダニ・ペドロサだった。シーズン序盤に勝ち星を手にしたロレンソに対し、ペドロサは終盤に優勝を重ねる。ロレンソも終盤には2位フィニッシュを続けるが、ポイント差はじりじりと縮まり、ペドロサが優勝、ロレンソが2位の結果となった第16戦マレーシアGPを終えたあと、ランキングトップのロレンソはランキング2番手のペドロサに対して23ポイントの差をつけるのみとなっていた。

 しかし、このチャンピオン争いは思いがけない形で決着した。第17戦オーストラリアGPの決勝レースで、ペドロサが転倒。リタイアを喫したのだ。ロレンソはペドロサ不在のレースを走り切り、2位でフィニッシュすると、MotoGPクラスで2度目のチャンピオンを獲得した。ペドロサとの厳しいタイトル争いを展開したシーズンであったと同時に、全18戦のうち2戦を除いて優勝か2位でフィニッシュするという圧倒的な安定感を見せた年でもあった。

 翌2013年。ロレンソは変わらずヤマハから参戦する。ただ、ドゥカティからヤマハに舞い戻ったロッシが再びチームメイトとなった。そしてまた、ホンダからマルク・マルケスが最高峰クラスにデビューしようとしていた。


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