初のMotoGPシーズンにおける最速バイクは、宇川が1勝を挙げたRC211Vであり、2002年6月のムジェロで、時速324.5km/201.6マイルに到達した。パワーは、2006年の990ccクラス最終シーズンまでに大幅に増強され、ケーシー・ストーナーのRC211Vが、ムジェロで時速334km/207.5マイルを叩き出し最速を記録した。
ホンダの最初のMotoGPシャシーは、同社の最初のMotoGPエンジンと同等だったのは確かだ。シャシー設計の背後にある重要な意図は、マスの集中化だった。ハンドリング、ステアリング、および全体的な操作性を改善するために、必然的に最大限にマスをバイクの中心に集中させることになった。
このコンセプトの重要な側面は、燃料タンクの配置変更だった。RC211Vの型破りな設計により、燃料の3分の1はライダーの下に配置され、燃料の重さがバイクの中心に近づくことになった。ライダーは、レースの序盤ではこの点が特に有利であると感じていた。それまではバイクの高い位置に多くの燃料が配置されていることに苦戦していたのだ。HRCは、NSR500が序盤の周回でパフォーマンスのポテンシャルを70パーセント出した一方で、RC211は80から90パーセントのパフォーマンスを出したと推定した。
扱いやすいシャシーはさておき、RC211Vがまずは新タイヤで、次にユーズドタイヤでもレース距離全体で速度を出せたのは、フラットでフレンドリーなトルクカーブのおかげだ。これにより、ライダーはリヤタイヤを回転させてコントロールを維持することができた。回転数が上昇してもトルクが上がらないため、タイヤは何事もなくグリップを増すことができたのだ。
ロッシがRC211Vによる初ライダーズタイトルを2002年に、また翌年の2003年にもタイトルを獲得した後、ホンダの最強ライダーは若きアメリカ人のニッキー・ヘイデンとなった。ヘイデンは2002年にホンダVTR1000でAMAスーバーバイク選手権のタイトルを獲得し、2003年にレプソル・ホンダに加入した。
ヘイデンのライディング技術は、アメリカのダートトラックで学んだものだが、バイクをルーズに駆り、バイクを進めるためにホイールスピンを使っていた。ヘイデンがRC211Vを気に入ったのも当然だ。ヘイデンは2006年のMotoGPタイトルを最終ラウンドで獲得した。それはグランプリの歴史のなかでも最も劇的な日々の一部だった。ヘイデンとRC211V、そしてバレンシアのあの日の思い出は、永遠に生き続けるだろう。
ホンダ名バイク(2):RC212Vに続く

