MotoGPの軌跡(1):環境性能へ配慮し2ストロークから4ストロークマシンへの移行した2002年
2002年からスタートする4ストロークMotoGPマシンの開発で真っ先に動いたのはホンダだった。ホンダは2001年の年明けのモータースポーツ体制発表会の会場で、MotoGPマシンRC211Vの名称とエンジンの単体画像を公開した。
ホンダはパワーと重量とのバランスを見てV型5気筒のエンジンを新開発。RCというホンダ伝統のワークスマシンの名前を受け継ぎ、211は21世紀初年度に発表されたことを表し、V型レイアウトとギリシャ文字で5を表すVが当てられ、もちろんVにはビクトリー(勝利)の意味も込められていた。
続いて2月にはオーストラリアでテスト中のヤマハのMotoGPマシンが公開された。ヤマハはYZR500ベースの車体に搭載される直列4気筒エンジンの単体画像も公開。開発コードが0W-01であることが発表された。3月にはヤマハは正式名称をYZR-M1と発表、ジョン・コシンスキーを開発ライダーとして起用することを発表した。
そして、この年の4月に開催された日本GPの直後、スポーツランドSUGOでホンダRC211Vがテスト走行を行った。続く5月のスペインGPではドゥカティがMotoGP参戦を表明。2003年からの参加に向けてニューマシンを開発中であることを発表した。
その後、ホンダとヤマハはテストを重ねていく。そして、2001年の11月にはスズキが2002年からの4スト990ccマシン投入を表明。スズキは当初、2003年からの投入を予定していたが、XRE0という開発コードのマシンの開発も進んだことで、1年前倒しして2002年から4ストロークマシンで戦うことを決めた。
2001年のシーズン終了と同時に、ホンダとヤマハはテストを本格化した。2001年の12月にはアプリリアが直列3気筒エンジンを搭載したRS3で2002年よりMotoGPに参戦することを発表。こうして、2002年シーズン開幕前のテストには、ホンダ、ヤマハ、スズキ、アプリリアの4社の4ストローク990ccマシンがそろった。
■MotoGPの軌跡(2)に続く