Shigeto Kitagawa

 こんなふうに、いい加減とも思える経緯でスタートした990ccのMotoGPは2002年から2006年まで続いたのだが、2007年からは突然800ccに変更されたのである。突然といっても開発期間が必要なので、800cc化は遅くとも2005年には決定事項だったことになる。

 この変更の背景に、2003年に鈴鹿サーキットで開催された日本GPでのアクシデントが絡んでいるのは知る人ぞ知る話である。話を進める前にこのアクシデントを少し振り返ってみたい。

 事故は130Rを立ち上がってきた1台のMotoGPマシンが突如制御不能になり、タイヤバリアやスポンジバリアに激突して大破。ライダーはすぐさま病院に救急搬送されるも後に亡くなるという大変痛ましいものだった。

 その後事故調査委員会が立ち上げられ詳細な要因分析がなされたが、記録されたデータや事故車両の検分では事故につながる車両側の瑕疵は認められないとされた。原因はブレーキングによる激しい車両挙動が二輪車特有の高速ウイーブモードを励起し、制御不能になってコースアウトしたものと結論付けられたのである。

 当該メーカーの声明にはMSMAを通じてマシンも含めてレースの安全性を高めるためにレギュレーション変更を検討中という言葉で締めくくられていたが、これはややフライング気味で、この時点では具体的なレギュレーション変更の議論は俎上に載っていなかったと記憶している。――あくまでも筆者の記憶。真相は定かでない。

(中編に続く)

キタさん:北川成人(きたがわしげと)さん 1953年生まれ。1976年にヤマハ発動機に入社すると、その直後から車体設計のエンジニアとしてYZR500/750開発に携わる。以来、ヤマハのレース畑を歩く。途中1999年からは先進安全自動車開発の部門へ異動するも、2003年にはレース部門に復帰。2005年以降はレースを管掌する技術開発部のトップとして、役職定年を迎える2009年までMotoGPの最前線で指揮を執った。写真は2011年のMotoGPの現場でジャコモ・アゴスチーニと氏と会話する北川さん(当時はYMRの社長)。左は現在もYMRのマネージング・ダイレクターを務めるリン・ジャービス氏。
※YMR(Yamaha Motor Racing)はMotoGPのレース運営を行うイタリアの現地法人。

2011年のMotoGPの現場でジャコモ・アゴスチーニと氏と会話する北川さん(当時はYMRの社長)。左は現在もYMRのマネージング・ダイレクターを務めるリン・ジャービス氏。
2011年のMotoGPの現場でジャコモ・アゴスチーニと氏と会話する北川成人さん(当時はYMRの社長)。左は現在もYMRのマネージング・ダイレクターを務めるリン・ジャービス氏。

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