投稿日: 2020.07.29 10:00
更新日: 2020.10.14 01:12
更新日: 2020.10.14 01:12
ヤマハOBキタさんの鈴鹿8耐追想録 1984年(前編):小手調べの参戦のつもりが、トップライダーを投入する事態に
Shigeto Kitagawa
レースで誰が勝ったか負けたかは瞬時に分かるこのご時世。でもレースの裏舞台、とりわけ技術的なことは機密性が高く、なかなか伝わってこない……。そんな二輪レースのウラ話やよもやま話を元ヤマハの『キタさん』こと北川成人さんが紹介します。なお、連載は不定期。あしからずご容赦ください。
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筆者の長いレースエンジニアのキャリアの中で一際強烈な体験として記憶に残っているのが、1984年から1990年までの鈴鹿8耐出場マシン(TT-F1)の開発に携わった七年間である。時代はバブル期と重なる空前絶後のバイクブームの最中にあり、その間幸運にも三度の優勝を経験することができた一方、プロジェクトリーターとして臨んだ年には全車リタイアという散々な結果も経験した。