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  • 片持ちリヤアームの開発指示が突然だっただけでなく、開発期間もわずかだった。おまけに知見すらない。試行錯誤を繰り返しながら、なんとかカタチにはなったが、走るたびにトラブルが出た。リヤホイールもそのひとつ。これは、テスト走行でホイールが粉々になったのを受け、スポーク内側にリブを設けた対策品。
  • 片持ちYZF=0W89の車体設計者にしてゼッケン99番の平塚庄治/町井邦生組の監督も務めたキタさん(写真右側に立つ人)。99番車のレースは残念な結果となったが、やりきった安堵感があったという。
  • 1987年の鈴鹿8耐を走ったYZF750(開発コード:0W89)。その外装を外すとヤマハがデルタボックスと呼んだ極太のメインフレームがあらわになった。ところがリア周りに目を転じるとスイングアームが見当たらない。そう、これはヤマハにとって最初で最後の片持ちリアアーム仕様の8耐マシンだったのだ。