同じ記事の他の画像

  • 「こんなに自分の弱さをさらけ出したレーサーの自伝を読んだのは初めて」 森脇基恭が語る八代俊二著『突っ込みハッチの七転び八起き』
  • 1988年の全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)第4戦全日本富士500マイルをトップでフィニッシュしたフロムエー・ポルシェの岡田秀樹を、森脇さんが出迎えているところ。森脇さんがレースエンジニアを務めた同年のフロムエー・ポルシェは、シリーズ全6戦のうち3戦で優勝を飾り、タイトルを獲得した。そのシーズン後に森脇さんは、「F3に乗ってみますか?」と八代さんに声をかけたのだった。
  • 1988年の全日本F3で、ノバ・エンジニアリングがメンテナンスを担当していた#37 羽根幸浩のレイナード 883・トヨタ。八代さんが試したF3は、このマシンだった。なお、写真は第6戦筑波で、羽根は同年の自己ベストの9位でフィニッシュ。羽根車の後方に見えているのは#70 服部尚貴のラルト RT31・VW。
  • 1988年、ユーゴスラビアのリエカ・サーキットを走る八代さん。この年、ロスマンズ・ホンダのライダーとして世界GPにレギュラー参戦したが、7位に入ったこのユーゴスラビアGPの次のフランスGPで大怪我を負い、グランプリライダーとしてのキャリアにピリオドが強制的に打たれてしまった。
  • 1989年の森脇さん率いるチーム・ノバは、前年のF3チャンピオンである中谷明彦を起用して全日本F3000に参戦。「“ドライバーが思ったように挙動するクルマを作ること”を常にポリシーとしてやってきた」と森脇さんは言う。