子供ながらに「音もカッコいいし、スーパーカーってすごいな、ランボルギーニすごいなって」刷り込まれて育ったこともあり、その存在は不動のものとなっていく。そして2004年に手にしたのは、日本1号車となるeギヤのムルシエラゴ。この個体は、懐かしい記憶の中にあるエスパーダと同様に、とにかく壊れた。
「エスパーダは箱根に行くまでにいつも止まってた。だから帰りは毎回、代車のクラウン。俺が買えるころにはムルシエラゴになってたけど、本当は形はディアブロが好き。カウンタックよりもディアブロっていうぐらい。ムルシは新車で買ったけど、最初から壊れてる。親父のエスパーダがあんだけ壊れたから、まあこんなもんだろうと。でも言ったんだよ。『こんなに壊れるの? 新車でしょ?』って。そしたらディーラーの営業担当が『え? ランボルギーニですよ?』って真剣に言うのよ。だから『ああ、そうだよな!』みたいな(笑)」
当時のエスパーダもエンブレムは3回ほど盗まれ「牛さんが脱走した」と騒動になったが、ムルシエラゴのエンブレムも「走行中にどっか飛んでいって」同じように脱走した。
お父様が丸目のエスパーダを角目のヘッドライトに換装していたように、ムルシエラゴもアーキュレーのマフラーを入れ、アブフラックでカーボンフルエアロ、エンドレスでブレーキローター&キャリパーをワンオフで製作し装着。オートサロンにも2度出展するほど、カスタマイズにこだわってきた。
そんな折、エスパーダ以来ランボルギーニを所有せず、ジャガーEタイプなど他銘柄のスポーツカーを乗り継いできたお父様が、オーナーA氏と弟さんに向け「お前らも乗れ」と言って、アヴェンタドールSVを買ってきた。もともとゴールドだったエスパーダをブルーメタリックにオールペンしていたのにちなんで、ボディカラーは鮮やかなフレークの入ったブルーだった。
「闘病生活のときから『最後はランボルギーニに乗りたい』と言っていて、ある日『お前らも乗れ』と。カッコイイでしょ? 俺はランボルギーニに乗ってるけど、弟は乗ってないから、それで乗せてやりたいっていうのもあったんじゃないかな。運転席に座らせたらさ、『よし、行くぞ』って言うから、みんなで『いや、いけない、いけない』って(笑)。で、隣に母親も乗せて写真撮ってさ」
今は実家で静かに時を過ごしているというそのアヴェンタドールSVは、機会あるごとに弟さんが小学生の息子さんを乗せてドライブに繰り出し、次の世代の物語を紡いでいる。あの日見た、エスパーダのように。