短期間でマシンを製作したチームスタッフやNATSの学生たちの想いをのせて、24時間レースに臨んだ72号車。Aドライバーハンデの消化もあり、序盤は後方でレースを進めたが、開始5時間のところでセーフティカーが出たのをみて、いち早くメンテナンスタイムを終わらせるという戦略に出た。その分、レース終盤でのブレーキ消耗など心配な部分も当然あったのだが、各ドライバーがマシンを労わりながら走行し、日曜日の朝の段階で2番手に浮上。しかし、後方には65号車odula TONE 制動屋ロードスターが僅差で迫っている状態だった。
一時は65号車の先行を許した72号車は、ゴールまで残り2時間のところで山野に交代。ここからサーキット中が注目するような抜きつ抜かれつのバトルが展開された。
「2台とも、あと1スプラッシュしなければいけなという状況のなか、バトルをすることになってしまいました。24時間レースの残り30分で、同一周回でバトルをするというのはなかなかないことです」と山野。第1戦の鈴鹿でも白熱したトップ争いのなかで接触とクラッシュが起きてしまったのだが、今回に関しては接近戦を繰り広げても大丈夫という自信があったという。
「ちょうどメインストレートで並んだときに、お互いの顔を見合わせたのですが、65号車に乗っていた太田達也がヘルメットのなかで笑っているのが見えました。それを見て『彼は冷静だ』というのが分かったし、バトルを楽しんでくれるだろうと思いました」

そんななかで両車が最後のピットストップを迎えることになったのだが、ここでもタイミングが同じになってしまった。
「どちらかがスプラッシュのために先にピットに入ることになると思っていましたが、僕たちとしては先方(65号車)の動きを待って、彼らがピットに入ったら、次の周回に入ろうとしていました。その方が(2番手を守るのが)確実だなと思いました。しかし、こちらのタイヤがだんだんキツくなってきていて、バトルをすると余計にタイヤが辛くなってしまっていたので、タイヤ交換をしたいとリクエストしていました。それでスプラッシュ後の30分をダッシュすることにしました」と、ピットイン時の状況を振り返る山野。
ちょうどバトルをしている最中にピットインすることになり、ピット入り口に向かう際にラインが交錯してしまう恐れがあったため、窓から手を出して、自車がピットインするという意思表示を行ったという山野。65号車も同じタイミングでピットインとなったものの、72号車が先にピットアウトした。「アウトラップは必死に逃げました。2周目以降は、冷えたタイヤのメリットを活かせると思ったので、とにかくプッシュしていきました」と語った。
こうして、鈴鹿での大クラッシュから復活を遂げただけではなく、ST-5クラス2位を獲得した72号車。チームが今季一番の目標と掲げていた富士24時間でのクラス優勝には届かなかったが、レースを終えた72号車のピットはこれ以上ない満足感に満ち溢れていた。
自身にとっても、サーキットでのレース競技という点では復帰戦となった山野も満足した表情を見せ「本当に良かったです。結果は2位ですが、優勝したような気分です。この達成感は二度とないかもしれないというくらい、気持ちいい瞬間でした」とコメント。「2カ月前、僕たちにとっては悲劇だったところから、クルマ、ドライバー、スタッフ全員が富士24時間に揃うことができたということが奇跡だったと思います。そこから始まって、このリザルトなので……感無量ですし、『よく復活したな』と安堵の気持ちです」と、チーム全員の頑張りを讃えていた。
この2位獲得によりST-5ランキング2位となった72号車。開幕戦のクラッシュから復活を果たせたことが大きな起爆剤になっている様子が伺え、第3戦以降の快進撃からも目が離せない。

