──第5戦ヨーロッパからカナダまでアロンソは5戦連続ポールポジションを奪取し、うち4勝を挙げました。あの時点でシーズンの流れはアロンソにあり、勢いに乗っているように見えました。かなり厳しい状況になったと思いませんでしたか。
「そうだね。あのときフェルナンドは連勝中で、とても速かったし、とてもリラックスしてドライブしていたので、そう簡単に倒せる相手ではなくなっていた。だからマシンが様々なトラブルに見舞われた後、すぐに気づいたんだ。ポイントでもフェルナンドから大きく引き離されていたので、チームのことを考えるべきじゃないかと……。再びコンストラクターズタイトル獲得を目指して、最善を尽くそうと思ったんだ。自分はチームとフェルナンドのために仕事をすればいい。プロフェッショナルドライバーとして、そうせざるを得ない時もあるからね」
──その後、モナコの予選では走行妨害でペナルティを科され3グリッドダウン、カナダではフライングスタートでドライブスルーペナルティを受けました。こうした不運が続き、チームを後押しできませんでした。
「ミスや不運は避けられない。それでも2年連続でコンストラクターズタイトルを獲得できたからよかった。私の貢献は報われたんだ」
──第12戦ドイツからマスダンパーが使用禁止となりました。マスダンパーを装備しないだけで、マシンは大きく変わってしまったのですか?
「明らかに、まるで挙動が違った。そのせいでドライビングスタイルを少し変更しなければならなかったし、セットアップも完璧には決まらなかった。チームは再びゼロからやり直さなければならなくなり、厳しい週末になった。ただ、レースを終えた時には、少しはコンペティティブさを取り戻したとも思えたよ」

──素晴らしい技術を取り入れて誰もが合法と確信していたのに排除しなければならず、チームはフラストレーションが高まったことでしょう。
「マスダンパーありきでルノーR26を作ったのだから、正直なところ、途方に暮れたよ。オフに様々な作業を重ね、マスダンパー装備のマシンに最適なセットアップを模索してきたのに……取り外すと、まったく別物のマシンになってしまう。そうなると最初からやり直すしかないんだ」
──雨のハンガリーではスピンしてしまいましたが、私の記憶ではあのシーズンのあなたの2回のリタイアのうちの2回目でした。
「そう、ちょっと難しいレースだったね。ウエットコンディションでコントロールを失い、マシンにダメージを与えてしまったんだ。あのシーズンふたつ目の残念なレースだった」

──多くのレースであなたは燃料多めでスタートしていたように見えましたが、あれは戦略だったのですか。
「タイヤを持たせるのが得意だったからチームにとってプラスと考え、フェルナンドとは異なる戦略を採ったんだ。ただ、それがうまくいく時もあれば、効果がない時もあった」
──最終戦ブラジルは記憶に残る展開となり、アロンソが連覇を決めました。ミハエル・シューマッハーとの接触について何か覚えていますか。
「ブラジルはコンストラクターズタイトルを懸けた、とても重要なレースだった。フェラーリはルノーよりはるかに調子がよく、本当に速かった。周回を重ねるたびにミハエルはポジションを上げ、ついに私の背後についた。そしてストレートエンドで、私を抜きにかかった。2台は非常に接近しており、記憶している限り、ほんの少しだけ彼に当たったんだ。ただ幸いなことにと言わせてもらうが、ミハエルはパンクに見舞われピットに向かうことになった。そのおかげで私たちはチャンピオンシップを手に入れることができた。その意味でも重要な一戦だった」
──シューマッハーはフェラーリ最後のレースでした。あのアクシデントについて、彼と何か話しましたか。
「実はよく覚えていないんだ。あれは単なるレーシングアクシデントだった。ペナルティは受けなかったし、本当に軽く接触しただけだった。それ以外に言いようがないよ」
──振り返ってみると、これまでドライブした中でR26は最高のF1マシンだったのではありませんか?
「そのとおり。まさしくベストマシンだった。もう1台挙げるなら、2004年にシェイクダウンしたフェラーリも素晴らしかった」
