ハミルトンがフェラーリF1を選んだ理由を考察。信頼低下、魅力的なオファー、20年前のある出来事
Translation: AKARAG
そしてもちろん、フェラーリでドライビングすることの魅力もある。ジャッキー・スチュワートを除けば、そしてそのことはF1の古い歴史の一部となっているが、スクーデリアからの真剣なオファーを断ったトップドライバーはいない。
ハミルトンは以前にフェラーリと話し合い、何年も前にジョン・エルカーン会長と親しくなっていた。アニェッリ帝国の後継者であるエルカーンはハミルトンに対し、有名なイタリアのチームでドライブしない限り、彼のレガシーは普遍のものにはならないと少しずつ説得を行っていった。(フェルナンド・)アロンソや(セバスチャン・)ベッテルのように、ハミルトンはスクーデリアをトップに返り咲かせる自信を持ってマラネロに向かうだろう。また彼のためにも、他のふたりの偉大なチャンピオンたちができなかったことで彼が成功できるよう願うばかりだ。
しかし、3番目の要素が決定的なものだったかもしれない。バスールとふたたび仕事をすることの魅力が、ハミルトンがメルセデスを離れることを決意した転換点だったのかもしれない。バスールとハミルトンは古い付き合いであり、ハミルトンは広く知られている以上にバスールから恩恵を受けていることを認識している。
F3ユーロシリーズでの初シーズンで、ハミルトンはジェイミー・グリーン、アレクサンダー・プレマ、ニコラ・ラピエール、ニコ・ロズベルグに敗れて5位に終わったため、ロン・デニスはフラストレーションを溜めていた。費用を負担していたのはマクラーレンだったからだ。
デニスとアンソニー・ハミルトンの関係が明らかに悪化していたため、デニスはこの若者を手放す準備ができていたが、そのシーズンにグリーンとプレマを擁し、大きな成功を収めたバスールは、ウォーキングに赴き、ハミルトンにもう一度チャンスを与えるようデニスを説得した。拒否するにはあまりにもよい条件のオファーを出し、ハミルトンが実力を証明するための時間をもう1年与えるようデニスを納得させるのに手を貸したのだ。
そして、ハミルトンは実力を証明してみせた。彼は2005年に20戦中15勝を挙げユーロF3のシリーズチャンピオンを獲得。翌年にはバスールが立ち上げたARTグランプリからGP2に参戦し、2年連続でタイトルを獲得した。F1にデビューした2007年以降のことは知ってのとおりだ。
ふたりは親しい関係のまま定期的に連絡を取り合っており、互いに長年の競争に耐えてきたことについて、ともに感謝の気持ちを持っている。20年ほど前にハミルトンを深く信頼し、彼が2年連続でタイトルを獲得するのを助け、マラネロでの比較的短い時間でフェラーリを改善できることを示したバスールとの仕事にふたたび戻ることの魅力は、結局のところあらがうには大きすぎるものであり、他のふたつの要因も相まって、ハミルトンはメルセデスとの途方もない成功の歴史に終止符を打ってチームを去るという、予期せぬ決断をすることになった。