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投稿日: 2024.03.18 21:30
更新日: 2024.03.18 22:39

フェラーリを2度甦らせたゲルハルト・ベルガー。彼が見ていた1994年と『412T1』、そして跳ね馬の未来と現実


F1 | フェラーリを2度甦らせたゲルハルト・ベルガー。彼が見ていた1994年と『412T1』、そして跳ね馬の未来と現実

──当時、フェラーリ製V12エンジンは、“伝説”とも謳われていました。あなたはどう評価していましたか。

ベルガー「あの時代を振り返ると、温かい気持ちになる。何と言ってもV12は、特別なエンジンだ。そのV12エンジンを1基、私は長いことモナコの自分のオフィスに飾っていたんだ。記憶が定かではないのだが、V12時代ももう終わりという頃合いに、確かアデレード(オーストラリア)で私が走らせたんじゃなかったかな。あの偉大なエンジンを思い出すたびに、つい顔がほころんでしまうんだよね」

ベルガー「エンジンサウンドがまるで天上の音楽を聴くようだった。残念なことに、開発が進み、パワフルになっていくにつれて、重量が増すと同時に信頼性が失われていった。燃費が悪く、どこよりも重いタンクで戦うしかなかったんだ。バランス的にも良くないと分かっていながらも、馬力を優先して妥協することもしばしばあった。その結果、ストレートでは速かったけど、おかげでコーナーでは苦しかったよ」

──そして、V12が歴史的使命を終える日がついに訪れました。

ベルガー「その兆候は早くから見えていた。F1が効率を追求する戦いに変わっていったと、言い換えることもできる。例えばベネトン・フォードのパッケージだと、20㎏は少ない燃料でレースを始められる。V8エンジンは軽くて短いから、マシン全体をスッキリまとめることもできるんだ。同じことが冷却系やその他の補機類にも当てはまり、すべてが軽量コンパクトにまとめられた」

──ちょうどその頃、ジャン・トッドがフェラーリに加わりました。彼について印象に残っていることはありますか。

ベルガー「新任のスポーティングディレクターという肩書だったけど、最初は少し心配していたんだ。トッドと(ジャン・)アレジはどちらもフランス人だから、ある種の連帯が生まれるんじゃないかと思ったのさ。しかし、トッドの頭にあるのはチームを良くすることだけだと、すぐに得心できた。フェラーリの復活は私がチームに加わった時ではなく、実はトッドの加入をきっかけに始まったんた」

跳ね馬を2度甦られた男──ゲルハルト・ベルガー。彼が見ていた1994年シーズンと愛機『412T1』、そしてフェラーリの未来と現実
伝説とも謳われたフェラーリのV型12気筒エンジン

■別次元の体験

──フェラーリとともに戦った1994年シーズンをあなたはどう総括しますか。

ベルガー「あの年はベネトンやウイリアムズに大きく後れを取っていた。ある意味で分かりやすいシーズンだったと思う。イギリス系のチームは、風洞に大きく依存する設計手法を取り入れていた。その一方でフェラーリは、ジョン(・バーナード)の才能におんぶに抱っこの状況だった。彼がデザインしたマシンはそれなりに優秀だったが、残念ながら空力的にウイリアムズやベネトンの敵ではなかった。ジョンはイギリスを拠点に仕事をしていたせいで、マラネロの事情に疎かったという点も見逃せない」

ベルガー「それでは、緊急時にどうしていたのかというと、オーストリア人のグスタフ(・ブルナー)に任せるのがフェラーリのいつものやり方だった。彼は優秀なエンジニアだったよ。手持ちのリソースを駆使して改良する手際は、実に見事だった。特に空力周りのパーツで良い仕事をしていた記憶がある。エアロダイナミクスがグスタフの最大の強味だったので、メカニカル部分で右に出る者がないと言われたジョンを補佐するには、まさに適役だったわけだ」

ベルガー「フランスGP以降に投入された412T1Bは、サイドポンツーンから細く丸みを増したノーズセクション、さらにウイングとフロア部分が最大の変更点で、実質的にはニューカーみたいなものだった。それでどうにかトップチームとも戦えるようになり、ちょうどそのタイミングでホンダからオサム(後藤治)がフェラーリに移ってきたんだ。先ほど言った支援の一環ということになる。V12はパワーアップしたけれども、信頼性が充分じゃなかったからね。でも、ドイツGPで勝てたことは、最高にうれしかった。フェラーリに乗って勝つ気分は、他のマシンとは比べものにならないんだよ」

──そのドイツGPは、チームにとってシーズン唯一の優勝でしたよね。

ベルガー「ホッケンハイムは、私のお気に入りのサーキットなんだ。理由はよく分からないけど、なぜかいつもいい結果を残せていた。あのレースは、グスタフがいい仕事をしてくれたおかげで、412T1Bの細かいセッティングがピッタリとハマったんだ。マシンが良くなったのは、オサムの手腕でパワーを上乗せできたこともあったと思う。確か1万6000回転で、830馬力くらいは出ていた。でも、もっと重要なのは、信頼性を確保できたことさ。考えてみたら、ドイツGPの週末は最初から、なぜか勝てそうな予感があったんだ。それまでフェラーリは、58戦も勝利から遠ざかっていた。私自身は、ほぼ1年半も勝てずにいたんだ」

ベルガー「あの週末はどういうわけかウイリアムズが不調で、それにも助けられた。デイモン(・ヒル)とデビッド(・クルサード)のセッティングが、どちらも完璧じゃなかったんだ。それで私がポールポジションを獲ることができて、スタートから先頭をキープし、まるで背後霊のように私を追随していたミハエル(・シューマッハー)が最後にエンジンブローで消えてくれた。残りの周回では、今度は私のエンジンが止まってしまうのではないか……と気が気ではなかったが、何とかフィニッシュまで持ち堪えることができた。“シューマッハー旋風”がドイツ全土を覆い尽くそうとしていた一大ムーブメントの最中にありながら、多くのファンが私の優勝を心の底から祝福してくれたんだ。それで私は、フェラーリで勝つのは別次元の体験だということを再認識したよ」

跳ね馬を2度甦られた男──ゲルハルト・ベルガー。彼が見ていた1994年シーズンと愛機『412T1』、そしてフェラーリの未来と現実
ゲルハルト・ベルガー(フェラーリ)にとって1994年シーズン唯一の勝利となったF1ドイツGP

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