3月21~23日に行われた中国GPの直前に、エディ・ジョーダンの訃報が届き、F1界に衝撃が走った。76歳、さすがに早すぎる死を多くの仲間たちが嘆いたのは言うまでもない。エディが立ち上げたジョーダン・グランプリは、日本のF1ファンの多くが、デビューから成功までの道程、その歴史のすべてを目の当たりにした最初のF1コンストラクターだったと思う。
1990年代中盤以降、ジョーダンは中団グループのトップを担うチームに成長し、時に当時の4強チームと言われたウイリアムズ、マクラーレン、ベネトン、フェラーリを喰う活躍を見せた。
その中でエディが見せた特筆すべき“能力”は若手の発掘だろう。ルーベンス・バリチェロ、エディ・アーバイン、ジャンカルロ・フィジケラ、ラルフ・シューマッハー、ヤルノ・トゥルーリらを走らせ、彼らはその後巣立った先でグランプリウイナーとしての実績を残していく。そんなエディの先見性が、チームの成長にも貢献したことは間違いない。