2003年:BARホンダのジャック・ビルヌーブが欠場したことにより、リザーブドライバーの佐藤琢磨が日本GPに急きょ参戦。丸1年ぶりの実戦復帰にも関わらず、予選13番手から6位入賞し、またしても鈴鹿サーキットは琢磨への歓声に包まれた。

2006年:ホンダがBARを運営するBATから株式を取得してフルコンストラクターとして参戦。同時に、鈴木亜久里が立ち上げたF1チーム、スーパーアグリF1にもホンダはエンジンを供給。鈴鹿サーキットでの日本GPはジェンソン・バトンがホンダ勢のトップとなる予選7番手から、決勝は4位入賞。その後、ホンダは2008年いっぱいで第3期のF1活動を終了。

2015年:ホンダがマクラーレンとともにF1に復帰。しかし、エンジンからパワーユニット(PU)に変わったF1に苦労し、鈴鹿サーキットでの日本GPもエースのフェルナンド・アロンソが予選14番手、決勝では11位が精一杯の結果となった。
以上のように、鈴鹿サーキットとホンダには数々の栄光と、そして苦い思い出が混在しているが、それも今となってはよき思い出。今年もF1復帰3年目で、マクラーレンと袂を分かつことになったが、それでも過去2年に比べてマクラーレンのシャシー、MCL32のパフォーマンスとともにホンダのパワーユニットRA617Hの出力は上がっており、入賞圏内を期待したいところ。
特にホンダPUも最新スペックであるバージョン3.7の投入以降は、戦闘力、信頼性ともにかなりの進化を果たしており、フェルナンド・アロンソ、ストフェル・バンドーンふたり揃っての予選トップ10入りは、十分に可能と見る。となればレースでもし3強のいずれかが消えれば、マクラーレン・ホンダとしては今のところ最後となる鈴鹿で上位入賞を果たすこともできるはずである。
鈴鹿ではもうひとつ、来季からホンダの新たなパートナーとなるトロロッソの戦いぶりもじっくり見てほしい。トロロッソは前身のミナルディ時代を含めても、表彰台はセバスチャン・ベッテルによる優勝1回のみという、マクラーレンとはチーム規模も実績も比べ物にならない小さなチームである。
だが、ビッグチームである程度完成された企業であるマクラーレンとは異なり、若くて勢いのある中堅チームのトロロッソは、まだまだ今後の可能性を秘めた魅力的な存在としてもF1界で知られている。