投稿日: 2016.07.14 09:00
更新日: 2016.07.14 09:21
更新日: 2016.07.14 09:21
亡き先輩ビアンキの教えを胸に、フェラーリをドライブ「父のような存在だった」
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フェラーリ・ドライバー・アカデミーが2009年に設立されて以来、そこからフェラーリのレースドライバーは誕生していない。だが、ルクレールは将来その赤いマシンのシートを獲得できるかもしれない。
「もしビアンキがあのようなことになっていなかったら、いつか彼はフェラーリのドライバーになっていただろうね。それだけの才能があったから」とルクレールは語る。
「でも、いつか、あのアカデミーから確実にトップチームに昇格するドライバーが出てくると思うよ」
わずか18周の走行だったが、ルクレールは初めてフェラーリを駆った経験は「とても特別だった」と述べた。フリー走行でハースをドライブしたことと、テストでフェラーリに乗ったことは「まったく異なることだ」という。
「フリー走行でハースを運転したけど、あれは、ほとんどチームのためだった。予選とレースが控えているので、僕は彼らのために働いた。できる限り多く走ることが重要だったんだ」
「フェラーリでのテストはフリー走行とは違って時間が長かったので、もう少しうまく計画が立てられた」
「古いパワーユニットのせいで今日あまり多くは走れなかったけど、どちらの経験も素晴らしいものだった。2台の異なるF1マシンを運転できるのは素晴らしい経験だよ」
「より多くのマシンを試して違うやりかたを知って、より多くの経験を積みたい」
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この記事は国内独占契約により英 AUTOSPORT.com 提供の情報をもとに作成しています