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投稿日: 2018.06.13 13:44

ロリー・バーンが語る栄光のマシン。“バーン・エアロ”の集大成、『フェラーリF1-2000』


F1 | ロリー・バーンが語る栄光のマシン。“バーン・エアロ”の集大成、『フェラーリF1-2000』

 政治的な動きを嫌い、真っ直ぐに熱いエンジニア魂を持つロリーとの付き合いの中で、彼を嫌う人をほとんど知らない。もちろん、なかには反発する人間もいたが、その多くはロリーと実際に同じ土俵に立たされて、自分が負けることを嫌う、そんな人たちだけであった。

 ロリーは04年を最後に第一線から退いているが、いまだにフェラーリとの契約が更新されている。これはおそらくロリーをエンジニアとしてよりも、むしろ何でも相談できる長老的な立場にフェラーリが据えているからではないか。事実、彼の現在の立場はコンサルタントである。その幅広い知識と豊富な経験を何よりも頼りにしているのだろう。

 ロリーがこれまでに作り出してきたマシンは、ミハエル・シューマッハーを筆頭にエディー・アーバイン、ルーベンス・バリチェロなどがステアリングを握っている。彼らの違いをロリーはどう見ていたのだろうか。

「やはりミハエルの才能が飛び抜けていたのは間違いない。彼のレースに対する情熱とチームへの関わり方には素晴らしいものがあった。私は92年からミハエルと付き合っているが、彼はいつも真摯に生活のすべてをレースに捧げていたよ」

「よくフェラーリのオフィスに来ていろいろと話したけど、開発の細かいところまで質問された。具体的なリクエストはなかったが、マシンの動きや感触を事細かに説明してくれるんだ。特にエンジニアリングに詳しいわけではなく、繊細な状況分析と表現能力が優れていた」

「エディーも速いドライバーだったよ。事実、ミハエルが怪我で6戦を欠場した99年は、もう少しでタイトルを獲れそうだったんだからね。ただし、ミハエルと比べてレースに対する真剣度が少し足りないことが、頂点に立てなかった最大の理由だと思う」

「ルーベンスもまた、速さを備えたドライバーだった。とても性格が良く家族思いで、今でも頻繁に話をするよ。もしミハエルがいなければ、彼は間違いなくチャンピオンになっていただろう。エディーもルーベンスも優秀なドライバーだし、フェラーリにとっては素晴らしいナンバー2だったんじゃないかな」

 それでは、ロリーをフェラーリに呼んだジャン・トッドやロス・ブラウンはどのような人物だったのだろうか。

「彼らは実に協力的だった。あのふたりのおかげで、私は自由にマシン作りに没頭できたんだ。ジャンが会社、ロスがチームに関する政治的な問題、組織や日常の経営のあれこれを担当し、マシンの開発は私に任せてくれたからね。ふたりにはすごく感謝している」

 ロリー・バーン73歳、自らデザインしたマシンが7回ものドライバーズタイトルを獲得しているが、この記録を超えるのはニューウェイのみ。まさにF1界のカリスマデザイナーである。フェラーリに21年ぶりの栄光とその後に続く黄金時代(5年連続タイトル獲得)をもたらす第一歩がこのF1-2000であり、その速さの秘密を語るロリーの言葉には、いまだに尽きぬ情熱がほとばしっていた……。

ロリー・バーンとフェラーリF1-2000

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