更新日: 2016.08.19 18:24
メルセデスが恐れる“下克上” その歴史を振り返る
1994年:ウイリアムズが1992年から93年にかけて完成させた、電子制御の「ドライバーエイド」が禁止され、ミハエル・シューマッハーとベネトンがウイリアムズの3年連続ダブルタイトル獲得を阻止した。ウイリアムズは何とかコンストラクターズ選手権を防衛したが、それはベネトンの2台目が年間でわずか11ポイントしか獲れなかったことによるところが大きい。
2005年:この年からピットストップでのタイヤ交換が禁止され、前年まで無敵だったフェラーリ/ブリヂストンのコンビが大きくつまずいた。選手権王者のシューマッハーはついに1勝しかあげられず、それもミシュラン勢が撤退し、わずか6台で争われたインディアナポリスでのアメリカGPでの「勝利」だった。この年、ミシュランを履くルノーのフェルナンド・アロンソが、初の世界タイトルを獲得した。
2009年:ほぼ独占的な「二強」として、2007~08年のタイトル争いを繰り広げてきたマクラーレンとフェラーリが、ダブルディフューザーを擁したブラウンとそれを追うレッドブルに取って代わられた。前年までのトップ2は、ブラウン、レッドブルに大きく引き離されて、3位と4位でコンストラクターズ選手権を終えた。
2014年:4年連続で選手権を制覇してきたセバスチャン・ベッテルとレッドブルが、王座から転落した。彼らにエンジンを供給するルノーが、新エンジン規定への対応で遅れを取ったためだった。この年、彼らを出し抜いてシーズンを支配したメルセデスは、それから2年半を経た現在もフィールドの頂点に君臨している。
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