ケンドリックはまた、ROKiTがF1に関与したことによって、このスポーツに関する彼の記憶が蘇ったと語った。
「私は20歳の時、ウルバーハンプトンでグッドイヤーのタイヤエンジニアをしていた」
「F1向けの全てのグッドイヤーのレースタイヤは、私の生まれたウルバーハンプトンで製造されていた。そして1978年に、彼らはブエノスアイレスの新チームを管理するために私を派遣した」
「極めて印象深いことに、私は(1978年の開幕戦)アルゼンチンGPでアラン・ジョーンズ(当時ウイリアムズ)のタイヤエンジニアだったのだ。そして私は41年後の今、ここでタイトルスポンサーとなった」
「夢が叶ったのだ。私は、ここに座っていることをとても誇りに思っている」