初めてのF1、初めてのタイヤ、好みと正反対のハンドリング。多くのマイナス要因を抱えながらの走行だったにも関わらず、クビアトに匹敵するタイムを出したからこそ、チームは山本を高く評価したのだろう。
レッドブルのクリスチャン・ホーナー代表が「タイムは評価するが、我々の基準は満たしていない」と述べたという記事を見たが、それとは逆のポジティブな評価も彼に近い人間を通して耳にした。一体、何が真実なのだろうか?
「良い仕事をしたとは言われましたが、実際はコンマ1秒という差ではなかったと自分では思っています。もっとやれることはいっぱいあったので、正直いまは悔しい気持ちが湧いてきています」
「それでも、クルマをフリープラクティス2に向けて残しておくことが何よりも重要だったし、ピエールと自分のフィードバックが同じだったのは、チームにとっても良かったと思います」
■山本尚貴がF1で走った価値
走行後山本は多くの国内外メデイアに囲まれ、笑顔でファンとの交流を楽しんだ。しかし、ここに至るまでに相当な葛藤の日々を過ごしたようだ。
「正直、楽しみよりも不安や苦しい思いのほうが多かったですね。自分が乗ることに対する批判的な意見も自然に入ってきました。また、もしぶつけたり、周りよりも全然遅かったとしたら『日本でチャンピオンをとってもこの程度か』とレッテルを貼られてしまう」
「そうなると、次にチャンピオンをとった人にチャンスは絶対に巡ってこなくなってしまうと思っていました」
F1初ドライブを成功させた山本には、今後さらなる大きなチャンスが訪れるかもしれない。もし、チームからサードドライバーとして来季全戦に帯同して欲しいと依頼されたら、山本はどうするのだろうか?
「その質問に対する答えは、いまはまだ言わないでおきます。ただ、自分はレーサーなので、レースをしたい。どんな立場でもF1にしがみつくべきなのかもしれないけど、僕はあくまでもレースがしたいし、勝負をしたいんです」
「もしそういう土俵に立てないのであれば、上がれる土俵に立ちたいという思いもある一方で、良い条件を得られれば、掴みにいくと思います」
仮にサードドライバーとなっても、その翌年セカンドに昇格できるという保証はない。しかも、その2年の間に次の世代の若いドライバー達が順調にステップアップしたら、すべてを失う可能性すらある。
「31歳という年齢に関しては、日本で積んだ10年の経験がしっかりとあれば、海外でも通用すると考えているので問題ないと考えています。ただ、レッドブルは若い人にチャンスを与えるという明確なビジョンがあります。そこに自分がそぐわないのであれば違うと思うし、最終的には乗せたいと思う人がどういうビジョンを描いているかによります」
「結果を残した者が次のステップに進めるという道筋を作るのも、今回のチャレンジの目標のひとつでした。もしそれが今回できたのならば、1番の収穫かもしれない。僕が乗れたのだから、日本で戦って成績を残しているドライバーは、絶対にやれます」
山本は、重い十字架を背負い鈴鹿に臨んだ。しかしその十字架は、次にF1を目指す者たちが進むレールの鋼材となったはずだ。山本のFP1出走は、我々の想像以上に重要な価値を日本のレース界にもたらしたのである。
■チーフレースエンジニアが語る山本の適応能力と課題
トロロッソでチーフレースエンジニアを務めるジョナンサン・エドルズは「最初から、非常に印象的な走りを披露していた」と山本の走りを評価した。
「我々は山本のドライビングをテレメトリーでチェックしていたが、ブレーキングのグラフもステアリングのグラフも、ダニールとほとんど変わらない。F1のカーボンブーキというのは、温度管理が非常にデリケートで難しい。しかし、彼は1周目から正しく操縦していたし、フィードバックが正確だったことも驚いた。『低速コーナーでアンダーステアがひどい』と言っていたが、それはダニールも訴えていた症状だ。我々は途中で空力のバランスを変更したが、それはピエールの助けにもなった」
一方でエドルズは課題も口にしていた。
「山本とダニールとではタイヤのプログラムを分けた。山本はベストをソフトで叩き出したが、ダニールはミディアムだ。つまり、ふたりの間にはコンマ1秒以上の差があったと考えていいだろう」
そして、最後にこう語った。
「もうひとつ気になったのは、低速コーナーでのドライビングだ。現在のF1マシンは低速コーナーでブレーキを強く踏みながらターンインしようとすると簡単にフロントがロックアップする。山本が最初の数周で苦しんでいたのはそのドライビングにも理由があった」
「だが、データを彼に見せ、修正するように指示したら、すぐに対応していたよ。もし、週末をとおして走らせていたら、レースを走るころには、完璧に乗りこなしていたと思う。F1初走行としては、いい仕事をしたことは間違いない」