【開幕戦オーストラリアGP中止までの内幕】12日間と10時間32分で変わり果てたF1の姿(前編)
メルボルンのアルバート・パークでは、火曜日(10日)にはチームがフルスピードで準備を開始し、翌日にはパドックで働く人々のほとんどが集まっていたが、マスクをしている人は私の見た限りではひとりもいなかった。
イタリアのパスポートを所持する人は、入国時に簡単な検査を受けたものの、誰も30分以上留め置かれることはなく、さらなる措置もなかった。
つまり、F1は平常時と同様に動き続けていたわけだが、その一方でチェイス・キャリーは秘密裏にベトナム・ハノイを訪れ、現地当局者やベトナムGPのプロモーターで出資者でもあるビングループのファム・ニャット・ブオンCEOと会談していた。
その目的は、FOG(フォーミュラワン・グループ)の損失を最小限に抑えながら、ハノイでの初の市街地レースを延期またはキャンセルする方向で話をまとめることにあった。だが、ベトナム人たちはあまり協力的ではなく、キャリーは木曜朝にメルボルンに到着という当初の予定を変更して、ハノイ滞在を36時間延長し、タフな交渉を続けることを強いられた。
そして、彼がベトナムの首都にいる間に、メルボルンでは彼の会社が大きな危機のはじまりに直面し、キャリーはきわめて重要な局面に立ち会うことができなかった。チーム、FIA、主催者のオーストラリア・グランプリ・コーポレーション(AGPC)、ビクトリア州政府の間で話し合いがはじまっていたのである。
関係者の大半がパドックに集まった時点で、ハースF1のスタッフ3名とマクラーレンF1のメカニック1名が新型コロナウイルス感染の症状を示し、サーキットで検査を受けた後にホテルで自己隔離に入っていた。ついに必然とも言うべき事態が起きたのだ。
長距離を集団で移動する3000人以上のF1コミュニティのうち、何人かがウイルスに感染してしまうのは、当然の成り行きとも言えた。混み合った空港に集まり、ほぼ満員の飛行機に乗って移動し、到着後は狭いガレージやホスピタリティユニットのなかで、互いにごく近い距離で仕事をしているのだから。
かくして、握手やハグはもちろん、あらゆる物理的接触が避けられたが、24時間後には新たに5名(ピレリのスタッフが3名、ハースF1からさらに2名)が検査を受けねばならなくなった。