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投稿日: 2020.05.22 15:46
更新日: 2020.06.16 18:01

2014年F1日本GP開幕前夜に見たケータハム“終わりの始まり”【日本のレース通サム・コリンズの忘れられない1戦】


F1 | 2014年F1日本GP開幕前夜に見たケータハム“終わりの始まり”【日本のレース通サム・コリンズの忘れられない1戦】

 鈴鹿のパドックに到着した私は、すぐにラベットと話をした。彼に私が持っている情報を見せ、前日の会見で彼が語ったことには誤りがあると指摘した。

 するとラベットは驚いたことに、最小限のチームメンバーしか鈴鹿に来ていないこと、そしてパーツが差し押さえられたことは事実だと認めた。だが、レースを戦うことはできるという。

 ラベットは財政難にあるのはチームに関連する企業の1社であり、チーム自体に財政上の問題はないと主張した。後に、それも事実ではなかったことも明らかになるのだが……。

2014年F1日本GPを戦う小林可夢偉(ケータハムCT05)

 それでもチームは鈴鹿でレースをすることができた。だがこれはケータハムの非常に混乱した“終わりの始まり”であり、チームはその週末以降、2戦しか戦うことができなかった。

 これらすべての出来事は、まだコースに1台もマシンが持ち込まれていない時に起きた。そのレースウイークは、マックス・フェルスタッペンがトロロッソからデビューを飾り、初めてのセッションを走行したというのに、私は金曜日のフリー走行1回目と2回目についてはあまりよく覚えていない。当時、わずか17歳だったフェルスタッペンは、F1のレースウイークに参戦した最年少のドライバーだった。

 ちなみにこの日本GPの日曜日、個人的にハイライトとなる出来事があった。雑誌『auto sport』のライターが鈴鹿西エリアにあるパドックを案内してくれたおかげで、スーパーFJのマシンを間近に見ることができたのだ。

 私はスーパーFJというシリーズが大好きだ。低コストながら競争が激しく、チームとコンストラクターには独自のマシンを設計・製造する余地が残されている。これは素晴らしいチャンピオンシップであり、その存在を知ってからシリーズの大ファンになった。

 私は今でもシリーズのファンだ。実は将来、いつかスーパーFJに向けたレーシングカーを設計するか、スーパーFJに出場するか、もしくはその両方に挑戦したいと思っている。

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サム・コリンズ(Sam Collins)
F1のほかWEC世界耐久選手権、GTカーレース、学生フォーミュラなど、幅広いジャンルをカバーするイギリス出身のモータースポーツジャーナリスト。スーパーGTや全日本スーパーフォーミュラ選手権の情報にも精通しており、英語圏向け放送の解説を務めることも。近年はジャーナリストを務めるかたわら、政界にも進出している。


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