更新日: 2020.06.13 14:00
F1日本GP、数々の名勝負を生んだグランプリの歴史と名場面
2009年より再び鈴鹿での開催となる。この年初めて鈴鹿を走ったセバスチャン・ベッテル(当時レッドブル)が優勝を飾ると、翌2010年もベッテルが勝利。鈴鹿を得意とするベッテルはこれまでに歴代3位となる日本GP通算4勝を挙げており、昨年は予選でコースレコードも更新している。
また2010年も悪天候によりワンデー開催だった。この年はザウバーからF1にフル参戦した小林可夢偉がヘアピンで5度もオーバーテイクを披露。7位に入賞する活躍を見せた。
2011年は東日本大震災の影響により開催への不安もあったが、予定通りに日本GPを開催。エクレストンがチケット1500組3,000枚を用意して被災者を招待したり、ドライバーやチームによる日本への支援のメッセージも多く見られた。
2012年は予選3番手を獲得したマクラーレンのジェンソン・バトンがペナルティを受けて、可夢偉が日本人最上位となる3番グリッドからレースをスタート。決勝レースでは可夢偉がバトンの猛追を抑え、3位に入賞した。表彰式前の『可夢偉コール』を覚えている方も多いだろう。日本人の表彰台獲得は鈴木亜久里、佐藤琢磨に続く3人目だった。
2014年にパワーユニットが導入されて以降の日本GPでは、すべてメルセデスが勝利を収めている(ハミルトン4勝、ニコ・ロズベルグとバルテリ・ボッタスがそれぞれ1勝ずつ)。昨年は上述の通りベッテルがポールポジションを獲得したものの、好スタートを決めたボッタスが勝利。優勝争いを期待されたレッドブル・ホンダのマックス・フェルスタッペンも、スタート直後の接触によりリタイアとなった。
2015年よりF1に復帰したホンダは、2017年までは苦戦が続いた。トロロッソと組んだ2018年は予選でブレンドン・ハートレーが6番手、ピエール・ガスリーが7番手に並ぶも、決勝はガスリーが11位、ハートレーが13位と惜しくも入賞を逃す結果に。2019年はフェルスタッペンがリタイアの一方でアレクサンダー・アルボンが4位に入賞し、鈴鹿での表彰台獲得まであと一歩のところにまで迫っていた。
2020年はレッドブルとホンダがコンビを組んで2年目。当然2019年以上の結果を出すことを目標としており、鈴鹿での活躍、そしてタイトル争いも視野に入れていたことだろう。またトロロッソから名称を変更したアルファタウリも、3シーズン目を迎える今年は接戦の中団勢のなかでさらなる飛躍が期待されていた。
ホンダF1への期待も大きく、また1987年から続く日本GPが途絶えてしまうのは非常に残念だが、鈴鹿サーキット側やF1の判断を尊重し、2021年の開催を待ちたいところだ。