決勝スタート直後、ターン1入口で前を一瞬うかがったものの、プロストは1周目は2番手を維持。いつもの計画的なアプローチで、トップを走るベルガーを追っていくかに見えた。
ところが2周目にプロストのマシンの左リヤタイヤがパンク、彼はピットにゆっくりと戻らざるを得なくなった。マクラーレンは、4輪すべてを交換し、リヤのボディワークがダメージを負っていないかどうかチェックした後、プロストをコースに戻した。そのころには彼は他のほぼすべてのマシンから1周遅れになっていた。
怒りに駆り立てられたのか、あるいはタイトルも勝利もかかっていないという、彼にとってはめったにない自由な環境が訪れたせいか、プロストはその後、限界までプッシュし続け、信じられないほどのパフォーマンスを見せつける。
プロストはコース上の誰よりも速いペースで走り、他のドライバーたちとのギャップを縮め始めた。どれだけ頑張っても大きな見返りは得られないであろう状況で、プロストはその後の49周の間、全力でプッシュし続け、他のマシンに追いついては追い越すということを繰り返してポジションを上げていった。
レースの終わりが近づくころにはプロストは、リーダーから1周遅れのグループのなかでトップに立ち、前を行くロータス・ホンダの中嶋悟との差を縮めようとしていた。しかし結局時間切れで、プロストはトップを走るベルガーと同一周回に戻ることなく、7位でレースを終えた。
当時、ポイントが与えられたのはトップ6までであり、プロストは入賞に届かなかった。だが、この日の走りの素晴らしさは、ポイントを獲れたかどうかで測るべきものではない。プロストはレース中のファステストラップを記録、それは他のドライバーたちより約1.7秒も速いタイムだった。
『Motor Sport Magazine』で活躍したことでも知られる高名なジャーナリスト、アラン・ヘイリー氏は、プロストのこの日のパフォーマンスを「マクラーレンのチームリーダーとしての自尊心だけが原動力となって生み出された価値ある走り」と表現した。
このレースによってプロストの記録に追加されたのはファステストラップのみだ。ポールポジションも、優勝も、表彰台も、ポイントすらない。だが、この日の走りが、彼には何の見返りもなくても恐ろしく速く走る能力があることを証明し、ドライバーとしての評価をさらに高めたことは間違いないだろう。
