それでもレースの優勝争いはシューマッハーとベッテルのふたりに思えた。しかし55周目、可夢偉と接触したハイドフェルドのマシンがコース上にパーツを散乱させたことで4度目のセーフティカーが導入され、各車は差を詰める。
マーシャルのひとりがコース上で転んだのを見て私たちはテレビの前で大笑いした。立ち上がろうとした彼が目にしたのは、フェラーリV8エンジンを搭載したザウバーC30をドライブする可夢偉がまっすぐ自分に向かってくるところだった。彼はその場を動かなかったが、可夢偉はもう少しでマーシャルを轢くところだった。かわいそうなカナダ人のマーシャルはコース上で転んだところを何百万人の人々に見られたわけだ。
マーシャルはクルマのヘッドライトに捕らえられた鹿のように躊躇していたが、再び転び、可夢偉は彼をよけて走り抜ける。マーシャルは再び立ち上がったが、今度はビタリー・ペトロフ(ルノー)に轢かれそうになっていた。
61周目にレースが再開されると、シューマッハーはレッドブルのもう1台ウェーバーの追撃を受ける。だがウェーバーは水たまりの上を走るミスを犯した。

64周目、最終シケインでミスをしたウェーバーをバトンがかわし3位にあがるとシューマッハーを視界に捉えた。そして65周目、メルセデスエンジンを積んだマクラーレンはワークスのメルセデスのスリップストリームを利用し、シューマッハーを抜き去る。残り5周でバトンは2位に浮上した。
私たちはこれで勝負がついたと思った。なぜならトップを走るベッテルはバトンのはるか前にいたのだ。私は今でも、この日最後となる4度目のセーフティカーがでなかったら、どうなっていただろうと考える。だが、確かなことはこのセーフティカーでシューマッハーの優勝のチャンスは潰えた。
ドライのラインは幅が広くなり、シューマッハーはウェーバーにかわされ、4位に順位を落とした。たとえセーフティカーが出なかったとしても、シューマッハーはベッテルに勝つことは決してできなかっただろう。ドライコンディションではメルセデスのパフォーマンスはレッドブルに及ばなかったのだ。
そして2011年のカナダGP以降、7度のF1世界チャンピオンは、このレース以上に優勝に近づくことはなかった。
終盤を迎えたレースではバトンが絶好調。バトンはベッテルを捕らえたが、抜くことはできないだろうと私たちは話していた。ベッテルがドライのラインを防御するのは簡単なことだと思ったからだ。

バトンはコースの濡れた部分からでは追い抜くことができない。だがバトンは心配する必要はなかった。ファイナルラップのターン6でベッテルはコースの濡れた部分に足を取られ、ハーフスピンを喫してしまう。その瞬間をバトンは逃さず、ベッテルを仕留めて首位に立った。
それは素晴らしい展開で、私たちは興奮して叫んだ。他の部屋で眠っている人たちを起こしてしまったかもしれないが、このようなレースは誰も目にしたことがなかったのだ!
ファイナルラップでベッテル、ウェーバーのレッドブル勢が反撃に出る時間はなく、バトンがレースを制した。レコードブックを見ると、このレースはF1で史上最長のレースとなっている。雨による2時間の赤旗を含み、スタートからフィニッシュまで4時間以上かかったという。
レースが終わり、ル・マン24時間帰りで36時間も起きていた私たちに疲労が戻ってきた。
翌日、イギリスに戻る前に私たちは食料品を買い(当時はフランスの方が、物価が安くて品質も高かった)、そしてルーアン・レゼサール・サーキットを更に数周走ってから帰路についた。サーキットを走っている最中、私たちはル・マン24時間のことはほとんど忘れているかのようにF1カナダGPのことばかり話した。
現地には行かなかったが、2011年のF1カナダGPは私にとってとても記憶に残るレースだった。
【FORMULA 1】 2011 Canadian Grand Prix: Race Highlights
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サム・コリンズ(Sam Collins)
F1のほかWEC世界耐久選手権、GTカーレース、学生フォーミュラなど、幅広いジャンルをカバーするイギリス出身のモータースポーツジャーナリスト。スーパーGTや全日本スーパーフォーミュラ選手権の情報にも精通しており、英語圏向け放送の解説を務めることも。近年はジャーナリストを務めるかたわら、政界にも進出している。