2014年モナコGPを私にとって忘れられないものにしたのは、レースの先頭集団のバトルではなく、このグループである。レースに臨む時点でケータハム、ザウバー、マルシャの獲得ポイントはゼロだった。
つまりコンストラクターズ選手権における彼らの順位は、どのチームが上の順位でフィニッシュできるかにかかっていた。ザウバーのマシンはこの3チームのなかで少しの差をつけて速さがあり、オーストラリアGPではランキング11位につけていた。
しかし、シーズンが進むなかでケータハムかマルシャのいずれかが10位入賞、もしくはそれ以上の結果を出してポイントを獲得すれば負ける可能性もあった。
マルシャは2番目に速く、ビアンキがメルボルンとバーレーンで二度、13位でフィニッシュしていたおかげでチャンピオンシップでは10位につけていた。
一方、ケータハムは明らかにグリッド上で一番遅く、マシンの見た目も悪い。実際、ケータハムCT05は、これまでに製造されたなかで一番醜いF1マシンと言われている。ランキングも最下位だった。
グリッド後方のこの3チームすべてにとって、コンストラクターズ選手権を10位でフィニッシュすることは、数千万ユーロの分配金を手にするために非常に重要なことだ。
そういうわけでこのときのモナコGPは先頭のふたりのメルセデスドライバーが世界タイトルを争って戦い、後方の6台は数千万ユーロを賭けて戦っていた。そして後に分かることだが、彼らはチームの存在自体も賭けて戦っていたのである。
レースがスタートすると2台のメルセデスは後続をうまく引き離した。後方ではビアンキがチルトンを抜いて、可夢偉のすぐ後ろに。しかし、ロウズ・ヘアピンに入るところで、フォース・インディアの1台がスピンし、可夢偉はこれに巻き込まれそうになった。

ダメージを避けた可夢偉に最後尾スタートのビアンキが迫り、ヘアピンに入るところで可夢偉は捕らえられたが、ケータハムのマシンは前に留まる。これが周回ごとに白熱していくバトルの始まりだった。
1周目が終わるとき、ビアンキは明らかに可夢偉を抜こうとしていた。ビアンキのマシンは可夢偉のマシンと比較しても速そうに見え、追い抜くルートが見つけられないだけのように見える。
周回ごとに繰り返されるこのバトルは、何度もマルシャに追い抜きのチャンスがあるように見えたが、ケータハムはどうにかしてそれを阻止していた。
毎周回、私の前で繰り広げられる2台のバトルを見るのは本当に興奮した。
レースが進むにつれ中団グループのマシンが脱落し始めていく。まずレッドブルのセバスチャン・ベッテル、そしてトロロッソのダニール・クビアトだ。
後方のバトルの前で1台、また1台とマシンがリタイアしていった。そして、エイドリアン・スーティル(ザウバー)がクラッシュし、セーフティカーが導入されたため、ケータハムに希望が出てきた。
さらにケータハムには良い知らせがあった。マルシャの2台とザウバーの残りの1台は、アウト・オブ・ポジションからのレーススタートを行ったために、5秒ペナルティを科されたのだ。
セーフティカー導入中にほとんどのマシンがピットに向かった。ビアンキはピットストップ前にペナルティを消化したが、チームはどうやらこれがルール外であることに気づかなかったようで、ビアンキはレースの最後に2回目のタイムペナルティを受けることになってしまった。
ピットストップ後にキミ・ライコネン(フェラーリ)がチルトンに接触してしまい、損傷部分を修理しなければならなかった。ライコネンはビアンキのすぐ前でレースに復帰した。
レースがリスタートすると、ロズベルグは首位を保ち、ハミルトンは2番手だった。後方ではグティエレスが11位、可夢偉が12位、ライコネンが13位となっている。同じように窓からレースを見ている仕事仲間に向かって私はこう言った。
「後方のあのグループに注目していた方がいい。彼らのうちポイントを獲得できた1チームだけが何百万という分配金を取れるんだ」
だが他の誰も注意を向けてはいなかった。(こんなに面白い展開なのに)

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サム・コリンズ(Sam Collins)
F1のほかWEC世界耐久選手権、GTカーレース、学生フォーミュラなど、幅広いジャンルをカバーするイギリス出身のモータースポーツジャーナリスト。スーパーGTや全日本スーパーフォーミュラ選手権の情報にも精通しており、英語圏向け放送の解説を務めることも。近年はジャーナリストを務めるかたわら、政界にも進出している。