──今年のF1は新型コロナウイルスと戦った1年でした。コロナ禍のなかでのシーズンで、かなり疲れましたか。
山本MD:正直、少し疲れました。特に最終戦のアブダビは(新型コロナに関する制限が)一番厳しい国で、サーキットがあるヤス島がロックダウンされているだけでなく、ホテルとサーキットを結ぶ道路以外もフェンスが立てられていて、精神的にストレスを感じました。
──コロナ禍でのF1で一番苦労したことはなんですか。
山本MD:やっぱりコロナに感染できないことですね。ジョナサン(・ウィートリー/スポーティングディレクター)だって、陽性になった途端、ネットでニュースになった。だから、感染してはいけないという意識が常にあり、グランプリから帰ってきても余計な外出はしなかったし、かといって(私がイギリスで生活していた拠点は)自宅ではないので、家のなかで趣味のようなこともできず、読書するぐらいでした。
──山本MDは6月に渡欧したわけですが、このようなシーズンになると予想していましたか。
山本MD:いいえ、日本を出発した6月の時点では、3回か4回、帰国する予定でした。しかし、結局1回しか帰国しませんでした。どうしても日本に帰らなければならず、入国に関して制限がなかったトルコGPの前に3日間だけ帰国しました。それ以外は、一度日本に帰ると、入国のときに自主隔離しなければならず、グランプリが開始するまでにサーキットに入ることができなくなってしまうんです。
しかし、これは私だけでなく、HRD Sakuraから出張できていたエンジニアのほとんども同じで、彼らのほとんどは一度も帰国していません。したがって、家族とのコミュニケーションや、レースに集中できる環境づくりを維持することが大変だったと思います。支えてくれた家族の皆様に本当に感謝しています。

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(後編)に続く