──カナダGPで3位入賞を果たし、続くフランスGPの決勝はウエットレースになりました。ペース的にはどうだったのですか。
「みんなウエットタイヤを選択して、僕だけがスリックタイヤを履いていた。高速コーナーを抜けた先のロングストレートで、直線部分を端から端まで使って360度ターンを披露したあのシーンを見逃していたら、お気の毒と言うしかないな(笑)。ストレートエンドでようやくノーズが前を向いて、そのまま何食わぬ顔で走り続けたんだ。どこもかすりさえしなかったんだから、ウソみたいな話さ。とはいえ、またエンジントラブルでリタイアしたんだけどね」
──イギリスGPでは消火器が誤作動するという、これまた嘘みたいなハプニングが起こりましたね。
「ああ、そうだね。消火器がいきなり破裂したんだった!」
──続くドイツGPは予選5位を獲得しました。これはエンジンが良くなってきたということだったのでしょうか。
「例の“ブローバイ”は少しずつではあるけれども、解決に向かっていた。でも依然として2倍の量のオイルが必要だったし、そうしないと完走もおぼつかない。残量が少なくなってくると、予備タンクから移し替えるその手間も同じだったよ。レース中の給油がない時代だったし、燃料タンクの容量がなんと205kgもあった。それを満タンにしてスタートするわけだから、マシンバランスもパフォーマンスも、一筋縄ではいかなかった。難しいどころの騒ぎじゃないよ」
──5番グリッドからスタートしたベルギーGPは、パンクによりリタイアとなってしまいました。
「雨で始まったレースだったけど、ナイジェル(マンセル)に当てられるし、挙げ句の果てにリタイアしてしまったから、散々な週末さ」
──イタリアGPの予選3位は、エンジンがパワーアップした成果でしょうか。
「パワーもそうだけど、元々良かった空力システムがさらに進化した。レスダウンフォース仕様だと、ダブルフロアが効果を発揮するんだ。おかげでかなりのハイペースで走れたよ。でも正直に打ち明けると、エンジンはシーズンを通じて似たようなレベルだったので、結果に結びついたという印象はないかな」
■今も続くミジョーとの交流
──ポルトガルGPはスピン、日本GPでは5位、最終戦オーストラリアGPは4位という結果でした。先ほどの話に出てきた横置きギヤボックスですが、フェラーリのスタッフから聞いた話では、「ディフューザーへの空気流を邪魔してあまり良いアイデアではなかった」という意見もあったようです。ダブルフロアの考え方ともバッティングしていたと思うのですが、そのあたりはいかがですか。
「言われてみればそんな気もするけど、正直あまり覚えてはいないんだ。横置きギヤボックスを搭載したマシンは、ノーズからボディ後端に流れ るラインを始めとして、見栄えだけは結構良かったと思うよ」
──ピッチングがあまりに過激で、マシンがコーナーにうまく入っていかない話も聞きました。もし、最初からアクティブが搭載されていて、それがうまく働いていれば、別物になっていたかもしれませんね。そういった印象はありましたか。
「ピッチ過敏症というのは、そのとおおりだね。でも、フロントに装着したショックアブソーバーの問題がこれとは別に取り沙汰されていて、サスペンションがガチガチに硬い状況だった。僕のドライビングスタイルには合っていたけど、他のドライバーにはとてもじゃないが扱えるものではなかった」
──アクティブシステムが登場するのはこの年のラスト2戦で、ニコラ・ラリーニがドライブしていました。
「開発は続いていたけど、重くなるのが難点だった。確か、ニコラが鈴鹿で使っていたよね」
──チームメイトのイワン・カペリにとっては悲願とも言えるフェラーリ加入でしたが、最悪の結末を迎えました(第14戦ポルトガルGPで解雇)。気の毒だと感じましたか。
「イワンは駆け引きをするような男ではないし、彼が言っていることも個人的には反論の余地がないと思う。ただ、フェラーリというチームは、特に内部に問題を抱えている時がそうなんだけど、これ以上はないほど陰険になれるんだ。相手と目を合わせることなく、バッサリ切り捨てるというふうにね。イワンはまさにそれをやられてしまったというわけさ。フェラーリに入る前はレイトンハウスで頑張っていたし、良い仕事をしていると常々思っていたから、そりゃあ気の毒だったよ。フェラーリとの因縁は、もはや呪われているとしか言いようがないという気もするね」
──ふたりのポイント差が大きく開いてしまったのは、あなたの方が“じゃじゃ馬”を扱うのに長けていたからだと思いますか。
「それが最も分かりやすい説明になるだろうね。もちろん、イワンにもチャンスはあった。でもなぜか、彼にはスタイルを合せることができなかったんだ」
──92年シーズンにおいて、最もポジティブだった要素を挙げるとすればなんですか。
「ミジョーとハーベイがチームにいたことだ。ふたりとも私が敬愛してやまない人間だからね。ハーベイはドライバーを理解し、どう話せばいいのかを知り尽くしていた。だからミーティングだって、今みたいに長々とやったりはしない。でもせっかちな僕は、それでも急かすのが常だったけどね(笑)」
──ミジョーとの交流は、今も続ていると聞いています。親友だけど、リスペクトできる存在という間柄でしょうか。
「まさにそのとおりだよ。ティレルで一緒に仕事をしていた頃から、ずっと尊敬していた。ミジョーに限らず、スタッフに良い人が多いのが、あのチームの特徴だったんだ。かつてのメカニックやエンジニアから、今でも折に触れメッセージカードが届くしね。だから私のF1キャリアの中で最も素晴らしい時期はいつかと聞かれたら、迷わずティレル時代と答えるよ」
──そのミジョーも不運だったと思いますか。F1の空力概念を一変させるようなコンセプトを提唱したのに、成績は振るわなかったわけですから。30年が経過した今でも一種のアイデア倒れだと言う人もいますが、彼を責めるのは不公平ですよね。
「ミジョーを責めるだって? 公平とか不公平という問題じゃないよ。さっきも説明したように、あのマシンの問題はエンジンが元凶なんだ。ぶっちゃけて言ってしまえば、もしフェラーリがコスワースを搭載していたら、何勝か挙げていた……という話さ」


