更新日: 2021.06.09 13:14
ジャン・アレジが語る1992年のフェラーリ。「F92Aにコスワース・エンジンが搭載されていたら勝てていた!」
Translation:Yutaka Mita
──当時のチーム運営についてもお尋ねします。ルカ・ディ・モンテゼモロが復帰する一方で、ピエロ・ラルディ・フェラーリもまだ力を維持していて、チーム代表のクラウディオ・ロンバルディがふたりの間で右往左往している状況でした。指揮系統が混乱する中で、あなたは自分のボスが誰なのか分かっていましたか。
「モンテゼモロの指示に従うべきなんだろうな……って思っていたかな。ファクトリーが混乱状態だったし、いろいろな噂が飛び交って、ろくに話し合いも行なわれないまま、次々と新しい決定が下されていた。それは厄介だし、辛かったよ」
──これはロンバルディが語っていたことですが、エンジンとシャシー部門の対立を煽っていた張本人がモンテゼモロだった……という節もあるそうです。
「チーム内のムードが最悪だったのは確かだね。誰かが素晴らしい仕事をしても、組織としては問題だらけで、内輪揉めが絶えないから、理想にはほど遠い状況だった。そういう状況の中で救いになっていたのは、ティフォシの存在さ。あとは自分の意志の力。コース上で自分のできる精一杯の走りを披露することしか考えていなかったし、それで良かったのだと思う。様々な問題に巻き込まれずに済んだのだから。そういう立ち位置にいられたおかげで、フェラーリの中で自分だけの自由を手に入れ、さらに3シーズンをこのチームで過ごすことが可能になったと考えている」
──翌93年はフェラーリにとって大変革の年となり、ジャン・トッドの加入を含めてチーム体制が一新されましたね。
「ジャンの招聘が大正解だった。僕にとってみれば、少し時期が遅すぎたのが残念だけどね。余計なことを言わず、黙々と仕事をこなすという自分のスタイルを今さら崩そうとは思わなかったし、96年にミハエルが加入すると決まった段階で、自分がチームを出ていくしかないと分かっていた」
──あなたはフェラーリからF92Aを手に入れて、現在も大切に保管していると聞いています。どういった経緯で、そうなったのですか。
「92年末にフェラーリがゲルハルト(ベルガー)と契約したことがきっかけさ。ニキ・ラウダがチームの顧問に就任して、最近までメルセデスでやっていたのと同じような役割を担っていた。モンテゼモロの参謀とでも言えばいいのかな。ゲルハルトの加入が公になると地元紙のガゼッタ・デル・スポルトが、『フェラーリに救世主が現る!』とか、『ナンバー1ドライバーはベルガーで決まり!』なんてことを盛んに書き立てた。それで私はニキに電話して、溜まっていた鬱憤をすべて吐き出したんだ」
「『これは、いったいどういうことだ? ろくでもないマシンを150%の力で走らせてきたのは僕だぞ。この際だから言うが、僕はフェラーリに命を懸けているんだ。そういうドライバーを差し置いて、こんな記事を書かせるとは何ごとだ。がっかりするにもほどがある』とね。そうしたらニキが『OK。ジャン、君の言い分は分かった。ギャラを増額するということで話をつけようと思うがどうだ?』と言うんだ。ゲルハルトとの契約は今さら動かせないから、金で解決しようという魂胆さ。『誰も金が欲しいなんて言っていない』と詰め寄ると、ニキから『まあ、そう怒るな。モンテゼモロと相談するから、追って連絡する』と言われたんだ」
「しばらくするとニキから電話がかかってきて、『シーズン終了後にF1マシンを1台、進呈するから、それで機嫌を直せ』という。『ありがたく頂戴するが、ナンバー2ドライバーは絶対に願い下げだ』と釘を刺してやったよ。ニキは、『それについては心配するな』と言っていたが、確かにそうはならなかったね」
「翌年、ジャンが現場で指揮を執り始めて、ハッキリしたことがある。新品のギヤボックスや特注ノーズがひとつしか出来上がっていない場合には、それを実戦に投入することはない。2台のマシンに同時に装着するか、さもなければトラックに積んだままか、そのどちらかだったんだ」
──F92Aは、電気系やその他の付属品もすべてセットで手に入れることができたのですか。
「全部、揃っているよ。フィオラノでシェイクダウンした時に、使用済みのタイヤも自分のトラックに積み込んで自宅に持って帰ってきたが、今もそのまま置いてあるんだ。でも、一度もマシンを走らせたことはない」
──いつかはコースで出て、F92Aをドライブしてみたいですか。
「実際にマシンを走らせるとなると、費用が結構高くつくからね……。でも肝心なことは、かつてドライブしたF1マシンが自分の手元にあるということさ。シート、ハーネス、ペダル位置、すべてが自分専用にセットされた30年前のマシンが、そのまま残っているんだ。すごいことだよ。実は、90年型のティレルのマシンもあるんだ」
──実際にサーキットで走らせるとなると大変ですが、自分にとって特別なマシンを手元に置き、いつでも気が向いた時に愛でることができる。ドライバーとして、これ以上の幸福はありませんね。
「そういうことさ。よく分かってるじゃないか(笑)。最高の幸せだよ!」
* * * * * * * *
『GP Car Story Vol.36 Ferrari F92A』では、今回お届けしたジャン・アレジのインタビュー以外にも見所万歳。車体開発に尽力したジャン-クロード・ミジョー、スティーブ・ニコルスのほか、クラウディオ・ロンバルディ、エンジン担当のパオロ・マッサイ、2名のレースエンジニア、ルイジ・ウルビネリ(アレジ担当)、ジャンフランコ・ファントゥッツィ(カペリ担当)など、日本のメディアには(おそらく)初出となるようなメンバーの貴重インタビューも掲載、まさにフェラーリ・F92Aの決定本といえる内容をお届け。
特に編集部の推薦は、8ページ約10000字におよぶイワン・カペリのインタビューだ。彼がチームからいかに悲惨な目にあわされてきたか、おそらく当時を知る人にとってはカペリへの評価が180度変わることになるだろう。そのあたりはふたりのレースエンジニアの“立ち位置”からもアレジとカペリの扱い差を感じていただけるはず。
どうして“美しき駄馬”が失敗に終わったのか、ぜひ読み取っていただきたい。
『GP Car Story Vol.36 Ferrari F92A』は、6月9日発売。全国書店やインターネット通販サイトにてお買い求めください。内容の詳細と購入は三栄オンラインサイト(https://www.sun-a.com/magazine/detail.php?pid=11904)まで。