フランスGPは決勝をスタートする前から台無しになってしまったので、オーストリアでのふたつのグランプリに目を向けよう。その1戦目の何と言ったか、ストーリアじゃなくて、ステレオじゃなくて……シュタイアーマルク? その変な名前のグランプリでの裕毅は、なかなかよかったと思う。フランツに恐ろしいやり方で脅されたのかもしれないが(具体的な話は、スコット・スピードに聞くといい)、予選では8番手、ガスリーから0.27秒差という上々の成績だった。ところがこの時は、チームがタイヤ戦略で大きなミスを犯した。そのせいで、ソフトタイヤでスタートした裕毅は、早々にピットインしなければならず、最終的に10位どまりという結果になったのだ。

もちろん普通なら、チームは第2オーストリアでは同じことはしない。だが驚くことに彼らはまた同じ戦略を取った。フェラーリのふたりはQ3には進まず、スタートタイヤを選んで、決勝でしっかりポイントを稼いだ。ところがアルファタウリは今度もQ3に進むことだけを考えた。角田はガスリーから0.16秒遅れだから前進したといえば前進したが、結局2回ストップで走らなければならなかったので、入賞は厳しかった。
それでも彼がミーティングでちゃんと話を聞き、レースディレクターズノートに目を通していれば、ポイント圏内でフィニッシュできたかもしれない。決勝中、ピットレーンの白線に触れるなど(議論の余地なく、明らかに踏んでいた)、言語道断。しかもそれを2回繰り返したのだから驚く。

彼が自分がなぜペナルティを受けたのか分かっていなかったというのも解せない。白線カットはやってはならない行動なのだ。もしもプラクティスでやっていたのにチームの誰も気づかなかったのだとしたら、それもおかしい。私のチームでそんなことが起きたら、チームマネージャーかレースエンジニアに雷を落としただろう。
結局、この3戦で角田が獲得したのはたったの1ポイントだった。彼とチームの両方がちゃんとした仕事をしていれば、10点以上は獲れたはずだ。レッドブルの育成ドライバーたちがF2やF3でいい仕事をしている時だけに、ヘルムートが今、何を考えているのかが気にかかる。裕毅、肝に銘じてくれ。君が目指すべきは、小さな前進の積み重ねだ。小さな後退は決して許されないのだ。
────────────────────────
筆者エディ・エディントンについて
エディ・エディントン(仮名)は、ドライバーからチームオーナーに転向、その後、ドライバーマネージメント業務(他チームに押し込んでライバルからも手数料を取ることもしばしばあり)、テレビコメンテーター、スポンサーシップ業務、講演活動など、ありとあらゆる仕事に携わった。そのため彼はパドックにいる全員を知っており、パドックで働く人々もエディのことを知っている。
ただ、互いの認識は大きく異なっている。エディは、過去に会ったことがある誰かが成功を収めれば、それがすれ違った程度の人間であっても、その成功は自分のおかげであると思っている。皆が自分に大きな恩義があるというわけだ。だが人々はそんな風には考えてはいない。彼らのなかでエディは、昔貸した金をいまだに返さない男として記憶されているのだ。
しかしどういうわけか、エディを心から憎んでいる者はいない。態度が大きく、何か言った次の瞬間には反対のことを言う。とんでもない噂を広めたと思えば、自分が発信源であることを忘れて、すぐさまそれを全否定するような人間なのだが。
ある意味、彼は現代F1に向けて過去から放たれた爆風であり、1980年代、1990年代に引き戻すような存在だ。借金で借金を返し、契約はそれが書かれた紙ほどの価値もなく、値打ちのある握手はバーニーの握手だけ、そういう時代を生きた男なのである。