2000年9月、ジュニアフォーミュラの経験しかないライコネンをイタリア・ムジェロでのテストに招いたペーター・ザウバーは、マネージャーの話を聞いただけでキミのドライビングについては何も知らなかったと言った。テスト2日目に現場で会うまで話したことすらなかったし、言葉少ななドライバーとの会話は「0~0.5くらいのレベル」。首の疲労を訴えたライコネンは4周以上アタックしようとせず、そのタイムも取り立てて騒ぐものではなかった。しかしドライビングに専心する姿、そこで浮彫りになった確固たる意志に感銘を受け、ザウバーはスーパーライセンスの獲得に奔走した。
「ライコネンというドライバーがいったん目標を定めたなら、自分とターゲットのあいだに壁があろうとも、その壁をすり抜けてしまうだろう。そこに壁があることさえ、感じないままで」
デビュー当時のライコネンを語ったザウバーの言葉を、私たちは何度も思い返すことになった。鈴鹿史上に残る名レース、2005年の日本GPは代表的な一例だ。最終戦ブラジルGPで大逆転、チャンピオンに輝いた2007年も然り。シーズン終盤のタイトル争いでプレッシャーが最大限まで高まるなか、堂々とミスのないレースを実現できるドライバーは多くはない。アイルトン・セナの後はミカ・ハッキネン、フェルナンド・アロンソ……。キミの口からは「プレッシャー」という言葉すら聞いたことがない。


何から何まで人工的なF1のパドックに放たれた自然児は、そこでさまざまなエピソードを生み、意図せずとも人々に笑顔をもたらし、憧れの対象となった。あらゆる無駄や論争を嫌いながら、誰よりも敏感に空気を読み、真顔のまま、ときには1秒でパドックを爆笑の渦に巻き込んだ。
パストール・マルドナドが初優勝を飾ったのは2012年のスペインGP。2位で表彰台に上がったアロンソは、世界中に中継映像が流れるなかで、脚元のトロフィーやらシャンパンボトルをもそもそと片づけ始めた。何をしているのかな? と思った瞬間、アロンソとぴったり息を合わせ、騎馬戦のように真ん中のマルドナドを持ち上げたのがライコネン──何気ない仕草に見えて、事前に何の打ち合わせもなく、最高のかたちで勝者を祝福したのは、人並み外れて鋭い勘を備えたふたりの技であったと思う。
スペインGPで、スペイン語圏のドライバーふたりとともに表彰台に上がったライコネンは、その後のテレビユニラテラル会見で『母国語コメント』で史上最短を記録した。プレスルームでは誰もスオミを理解できなかったが、ライコネンであることと、コメントの短さそのものが爆笑を生んだ。FIA会見であらためて意味を訊ねられたライコネンは「今日は母の日」と答えて再び笑いを巻き起こした。
それは、初優勝を飾ったマルドナドと地元のアロンソにその場を明け渡すための、キミ流のやり方──話すのが面倒だっただけかもしれないが、キミのほかにいったい誰が、こんなふうに脈絡のないひと言で、こんなに温かい空気を生み出すことができただろう?
結局のところ、この21年間、誰もがキミ・ライコネンに夢中だったのだ。思い出は無数で、それぞれの心に“最高のキミ”がいる。教訓めいたところをいっさい持たないスマートさが、軽やかに私たちの心に届く。コーナリングのひとつ、立ち居振る舞いのひとつ、問題発言のひとつさえ宝物。ライコネンというドライバーに出会えて、私たちは本当に幸福だった。
※この記事は本誌『オートスポーツ』No.1560(2021年9月17日発売号)からの転載です。





