F1 ニュース

投稿日: 2022.08.30 13:45
更新日: 2022.08.30 13:49

【鈴鹿F1優勝偉人伝/6&7】覇王の対抗馬でもあった“2代目”たちの栄光。デイモン・ヒル&ニコ・ロズベルグ


F1 | 【鈴鹿F1優勝偉人伝/6&7】覇王の対抗馬でもあった“2代目”たちの栄光。デイモン・ヒル&ニコ・ロズベルグ

 父は1982年のF1チャンピオン“猛将”ケケ・ロズベルグ。その子、ニコ・ロズベルグは2016年の最終戦アブダビGPで自身初の王座を獲得し、ヒル家に続く親子F1チャンピオンを達成するやいなや、31歳の若さでF1を電撃引退していった。記憶に新しいところである。

 ニコ・ロズベルグは2010年、現在のメルセデスF1が発足したシーズンにウイリアムズから移籍加入。そして2013年にルイス・ハミルトンが僚友となり、翌2014年、いわゆる“パワーユニット元年”からメルセデスの王朝期が始まる。

 マクラーレン時代の2008年に初タイトルを獲得していたハミルトンは、2014年に自身6年ぶりの王座返り咲きを果たすと、翌2015年もその座を防衛。ロズベルグは初タイトルに手が届かない。2年連続のシリーズ2位に甘んじていた。

 しかし2016年は違った。序盤に優勢を築いたロズベルグは、途中ハミルトンに一旦は逆転されるも、第13〜15戦を3連勝とした時点で再びシリーズリーダーとなる。

 そして第16戦マレーシアGPでは、ハミルトンが首位走行中に痛恨のマシントラブルによってリタイア。このレースで3位だったロズベルグは、リードを8点から23点へと広げた状況で第17戦日本GPを迎えるのだった(当時は現在と同じ優勝25点制だが、ファステストラップ1点のボーナスはなかった)。

 過去2年の鈴鹿では、予選でロズベルグがポールポジションを獲るも、レースではハミルトンに優勝されている。2016年、またしてもポールポジションはロズベルグがゲット。これは、逆に嫌な予感も漂うところか……(2度あることは3度ある?)。

 でも、そうではなかった(3度目の正直、の方だった)。ロズベルグは鈴鹿初制覇を飾り、スタート出遅れから3位に終わったハミルトンとの差を33点とさらに開いたのである。残り4戦、この段階における自力王座の可能性がハミルトンから消えたーー。

2016年F1第17戦日本GPのレーススタート
2016年F1第17戦日本GPのレーススタート
2016年F1第17戦日本GP ニコ・ロズベルグ(メルセデス)
2016年F1第17戦日本GP ニコ・ロズベルグ(メルセデス)

 ハミルトン残り4戦全勝でも、ロズベルグはオール2位か、2位3回&3位1回で王座に辿り着ける状況になった。強大なチームメイトを相手に築き上げた絶好機、これを絶対にものにするため、ロズベルグは鈴鹿後の4戦、英断をもって2位死守最優先の戦い方に切りかえていったように見えた。

 そして全身全霊の戦いで、ロズベルグは残り4戦をすべて2位で終え(ハミルトンは4連勝)、まさしく『悲願の』という形容がピッタリの初王座獲得を果たす。最終戦アブダビGPの終盤は、先頭のハミルトンが上位4台を接近状態にする走りを演じてロズベルグ後退の可能性を増やそうとしたりもしたが、その試練、痺れる状況もロズベルグは乗り切ったのである。

 そして、電撃的なF1引退……。ハミルトン相手の同門対決に勝つというのは、すべてのエネルギーを使い切るくらいの消耗を要求することだったのだろう。

 鈴鹿で勝利し、ハミルトン自力王座の可能性を消したことは大きかった。それによって重圧がさらに増し、タイトルを獲得できたら引退してもいいと思うようになった、というようなこともロズベルグは王座獲得後に語っているが、そこである種の決意を固めた彼にとって、鈴鹿で得たF1通算23勝目が自身最後のF1勝利になることは“織り込み済み”だったのかもしれない。

 本当に、本当に、大きな鈴鹿での勝利だった。

2016年F1第17戦日本GPを制したニコ・ロズベルグ(メルセデス)
2016年F1第17戦日本GPを制したニコ・ロズベルグ(メルセデス)
2016年最終戦アブダビGPで自身初のF1チャンピオンに輝いたニコ・ロズベルグ(メルセデス)
2016年最終戦アブダビGPで自身初のF1チャンピオンに輝いたニコ・ロズベルグ(メルセデス)
2016年最終戦アブダビGPで自身初のF1チャンピオンに輝いたニコ・ロズベルグ(メルセデス)
2016年最終戦アブダビGPで自身初のF1チャンピオンに輝いたニコ・ロズベルグ(メルセデス)


関連のニュース