日本人7人目のフルタイムF1ドライバーとなった佐藤琢磨は、予選で7番手と、ホンダ勢(この年はBARとジョーダンの4台)最上位を獲得。決勝も5位でチェッカーを受けて自身初入賞、2ポイントを獲得した。なお、この2ポイント獲得により、ジョーダンはBARとジャガーを上回るコンストラクターズ6位へと浮上している。この年はジョーダンのチームカラーであるイエローをまとい、イエローの旗を振るファンが多く。鈴鹿サーキットがイエローに包まれた年としても記憶に残る。


■16台抜きのライコネンが勝利を掴む/2005年
予選途中から降り出した雨により、17番手スタートとなったキミ・ライコネン(マクラーレン)。スタートで12番手に浮上すると、みるみる順位を上げて残り3周でトップのジャンカルロ・フィジケラ(ルノー)の背後に。そしてファイナルラップの1コーナーで大外刈りを決め、ライコネンがトップ浮上。16台抜きで勝利を飾った。

■シューマッハーのリタイアとスーパーアグリ初凱旋/2006年
ミハエル・シューマッハーとフェルナンド・アロンソ(ルノー)が同ポイントで並んで迎えた日本GP。序盤にトップに浮上したシューマッハーがレースをリード。しかし、1回目のピットストップを終えた直後にエンジンから白煙を上げて、立体交差の先でマシンを止める。これで、この年(1回目の)引退を表明していたシューマッハーがタイトルから遠のいてしまう結果に。また、2006年は鈴木亜久里率いるスーパーアグリがF1に参戦。佐藤琢磨と山本左近の2台で初の凱旋レースに臨み、2台揃って完走を果たした。


■小林可夢偉のオーバーテイクに湧く/2010年
セバスチャン・ベッテル(レッドブル)がポール・トゥ・ウインを掴んだ一方。この年からF1フル参戦を果たした小林可夢偉(ザウバー)が14番手スタートからヘアピンコーナーで次々とオーバーテイクを決めて7位でチェッカーを受けた。また、HRTから参戦した山本左近も非力なマシンを押さえつけ、完走を果たしている。なお、2022年時点で、日本人ドライバーが2人参戦した最後の日本GPとなった。

■日本人3人目。可夢偉が初表彰台獲得/2012年
3番手スタートの可夢偉が1コーナーで2番手に浮上。中盤、フェリペ・マッサ(フェラーリ)に先行されるも、3番手をキープ。終盤は好ペースを刻んで4番手のジェンソン・バトン(マクラーレン)が接近するが、これを守り切った可夢偉が3位でチェッカーを受け、日本人3人目のF1表彰台登壇を果たした。また、表彰式の前には観客席から『可夢偉コール』が轟いた。読者の中にも、あの日、あの鈴鹿で声が枯れるまで可夢偉の名をコールした人も少なくはないはずだ。


鈴鹿サーキット開場60周年となった2022年。日本GPではどのような戦いが繰り広げられるのだろうか。F1、そして鈴鹿サーキットの歴史に刻まれる激戦の瞬間、行く末をその目に焼き付けてほしい。