Text/Adam Cooper<br>Translation/Miho Kanda

──日本GPでタイトルを決めましたが、優勝はゲルハルト・ベルガーに譲りました。
「私はシーズン途中からマシン開発に携わるようになっていた。それほど多くのアイデアが出ていたわけではなかったので、フロントタイヤ周辺の整流を考えて前輪を前に出し、ホイールベースを伸ばすことを提案してみた」

「それを実行して、日本でそのマシンを走らせたように思う。それがうまく機能し。充分な空力効果も得られて重量配分もうまくいき、フロントタイヤへの荷重も変更することができた。さらに、アイルトンも気に入ってくれたよ」

──ふたりのポジションを入れ替えるという決断に、あなたも関わっていたのですか。
「ああ、そうだ。私たちは事前に何度もミーティングを行ない、自分たちはどう戦うべきか、優勝するためにはどうやってナイジェルを抑えたらいいのか、といったことを話し合っていた」

「そしてナイジェルを抑える役目を担うことに、ゲルハルトは全面的に納得していて、見事にゲルハルトはレース序盤にナイジェルを抑え込み、イライラさせるという素晴らしい仕事をやってのけたのだ。終盤になり、ポジションを入れ替えて、ゲルハルトを優勝させるべきだと、私は思っていた」

──レース前にポジションを入れ替える可能性について、話し合っていたのですか。
「実際にそれが可能な位置にいるかどうか、事前にわからないので、ゲルハルトを勝たせて見返りを与えるといったことについて話し合ったことはないと思う。ただ、ゲルハルトは喜んでチームのために働き、アイルトンはチャンピオンシップを手に入れることができた。アイルトンがポジションを譲ろうと思えば、それをできることは分かっていたし、無線では常に私たちを信頼していた」

「しかし、あのときの彼は指示が聞こえないふりをした。無線の調子が悪くて、聞きとれないと。アイルトンは、あのようなことはしたくなかったのだ。彼にとっては難しい決断だった。だが、実行した以上、後悔はしていなかったはずだ」

鈴鹿で生涯最後のシリーズチャンピオンを決めたアイルトン・セナ(左)。優勝はセナをサポートしたゲルハルト・ベルガー(中央)
鈴鹿で生涯最後のシリーズチャンピオンを決めたアイルトン・セナ(左)。優勝はセナをサポートしたゲルハルト・ベルガー(中央)

──つまり、セナが自発的にやったわけではなく、ロン・デニスが彼に指示したということですか。
「私とロンがピットウォールで話し合った。そして、私が何周にもわたってアイルトンに言い聞かせたが、彼はずっと聞こえないふりをしていた。アイルトンはコース上のどこでもいいと思わず、最後の瞬間まで待ち、もっとも注目を浴びる場所をとっておいた。つまり、自分の意志でやっているのではないということを、主張するためさ」

──チャンピオンシップをホンダとともに日本で決めたことは、セナにとっては特別なことだったのでしょうね。
「もちろんだ。特別な瞬間だったと思う。シーズンを通じて、アイルトンはホンダに意見を言い続け、ホンダはそれに応え続けた。最高の結果だったよ。全員のこれまでの努力がすべて報われたような気がする」

──オーストラリアGPは雨で大混乱になりましたが、セナはコース上にとどまり、まさに別格でしたね。
「自分の能力を確信していたのだと思う。彼には迷いがなかった。スタートがディレイになり、マシンに防水シートを被せた。すべてが水浸しになり、靴までびしょ濡れで、無線も機能していなかった。雨の時こそ無線にしっかり機能してもらいたい唯一の状況なのにね。そうすればウイングのセッティングを変えたり、タイヤを交換したりできるのだが、何もかもがうまくいかなくなる」

■フランクの助言

──MP4/6に対する総体的な評価を教えてください。最終的にはワールドチャンピオンを獲得したマシンになったわけですが、同シーズン最速のマシンではありませんでした。
「ふたりのドライバーを足して、2で割った平均値がマシンの力を表しているというのが、昔からの私の持論だ。それがグリッドポジションに反映される。また信頼性はドライバーの一部分だということを忘れてはならない。アイルトンがギヤボックスに何が起きたのかを知ろうとしたのが、その良い例だ」

──データロギングの初期のころでしたね。
「基本的にエンジニアリングに関しては私と、フェラーリへ移籍するまではスティーブ・ニコルズがマシンを走らせていた。データに関わるスタッフも何人かいた。チャーリー・アスキューはとても優秀なソフトウェアの専門家だった。彼は自身のメソッドを作り上げて、ウド・ツッカーのTAGのデータを取り込んで分析し、連動させていた。今では誰もがやっていることだが、私にとって、チャーリーは我々エンジニアがやろうとしていることをフォーマットに変えることができた初めての存在だった」

「それらをまとめるというのがチャーリーのアイデアだった。彼はソフトウェアを書き、運営するシステムを作り出した。数字と不規則な曲線を見るだけだったものを、ドライバーと関連づけることができるようにした」

──セナとは親しい関係を築けたと思いますか、あるいはチームのスタッフとして少し距離を保ったままでしたか。
「アイルトンと親しくなったとは思わないし、そうなれなかったことを気にしたこともない。82年に初めてウいリアムズに加入した際、『ドライバーとは親しくするな、彼らは死んでしまうかもしれないから』と、フランク(ウイリアムズ)に言われた。相手をどう思おうと、そうすべきではないと。この仕事を始めた頃に、フランクが助言してくれた」

──それでもセナと密に仕事をするなかで、信じられないような本質に触れたこともありますか。
「そうだね。アイルトンがしでかしたイタズラや、ゲルハルトとの悪ふざけなどすべてを見てきた。ゲルハルトはアイルトンの気持ちを和らげてくれたし、アイルトンが倒すべき相手はチームメイトではなかった。アラン(・プロスト)はもはや同じチームにいないのに、アイルトンはアランに勝とうと必死になっていた」

「先ほども言ったように、アイルトンの何かを理解しようとする熱意は、とても印象深い。優勝したレースで起きた問題点を理解しようとして、ギヤボックスの作業場で何時間も過ごすドライバーがいるなんて、考えたこともなかった。特にその頃、彼はブラジルに住んでいた。そういったことが、他のドライバーとの違いを生み出す。ドライバーというのは、ライバルから学ぶものだと思う」

「アランはニキ(・ラウダ)から、アイルトンはアランから学んだ。相手を倒したいと思うなら、ライバルを上回るパフォーマンスを発揮しなければならないんだ」

* * * * * * * *

『GP Car Story Vol.41 McLaren MP4/6』では、今回お届けしたジェームス・ロビンソンのインタビュー以外にも見どころ満載。マクラーレン・ホンダとしての歴代MP4シリーズに携わってきたニール・オートレイをはじめ、空力を担当したアンリ・デュラン、車体側のエンジン周辺の開発に従事したティム・ゴスに話を聞いている。

 そして、当時のマクラーレンといえば、ホンダを代表するように日本との関わりがフォーカスされるが、後藤治さん、ホンダV12開発の秘話を安岡章雅さん、河本通郎さん、柴田光弘さん、無線機ケンウッドの前原進さん、灰塚知隆さんらニッポンのスペシャリストたちも登場! もちろん、ドライバーのゲルハルト・ベルガーもMP4/6のこと、ホンダV12のこと、そしてセナについて大いに語ってくれている。

『GP Car Story Vol.41 McLaren MP4/6』は現在発売中。全国書店やインターネット通販サイトにてお買い求めください。内容の詳細は三栄オンラインサイト(https://www.sun-a.com/magazine/detail.php?pid=12536)まで。

GP Car Story Vol.41 McLaren MP4/6
GP Car Story Vol.41 McLaren MP4/6の詳細、注文はこちらから

本日のレースクイーン

籾山采子もみやまあやこ
2025年 / スーパーフォーミュラ
トヨタS&Dミレル
  • auto sport ch by autosport web

    RA272とMP4/5の生音はマニア垂涎。ホンダF1オートサロン特別イベントの舞台裏に完全密着

    RA272とMP4/5の生音はマニア垂涎。ホンダF1オートサロン特別イベントの舞台裏に完全密着

  • auto sport

    auto sport 2025年6月号 No.1608

    [特集]レッドブル 角田裕毅
    5つの進化論

  • asweb shop

    オラクル レッドブル レーシング NewEra 9SEVENTY マックス・フェルスタッペン 日本GP 限定 キャップ 2025

    10,560円