フェルスタッペンの活躍についてはさまざまなかたちで報道されているが、今の成功を理解するためには、彼がF1に上がる前にどのように過ごしてきたかについて語る必要がある。彼のバックグラウンドをより深く知るには、父親であるヨスに話を聞くのが一番だ。
ヨスは今年50歳。息子がどのようにレースを始めたかについてたずねると、開口一番に飛び出したのは、「主導権は最初からマックスにあったよ」という言葉だった。
「4歳の時、あいつは自分からカートをやりたいって言いだしたんだ。もちろん、私もカートをやらせたいと思ってはいたが、まあ6歳になってからだな、とのんきに構えていた。ところがあいつは『今すぐに乗りたい』って言い張って、それで最初は同年齢のキッズと一緒に走るようになったわけだが、2年もするとライバルは10歳ぐらいの子になっていた」
「もちろん、年上相手に最初は苦戦した。私たちが通っていたのはベルギーにあるゲンクというコースだったんだが、ある日そこが閉まっていたので別のコースに行ったんだよ。ほとんど知らないコースだった。ところが、走り出してみたらいきなり速いんだ。その時に思ったよ。走行ラインについてはもう、あれこれ教え込む必要はないなと。その後いつものゲンクに戻った時、あいつが大きく進化していたことがすぐに分かったよ」
それでも走りに行くたびに、ヨスはできる限りのことを息子に教え込んだ。明確な目的を定め、具体的に取り組んだ練習法はいくつでも挙げられる。
「当時、走っていたのはベネルクス3国(ベルギー、オランダ、ルクセンブルグ)でだけだったから、マックスがイタリアやイギリス、あるいはフランスの連中を相手にどう戦うのか、まったく予想もつかなかった。当時は国際的なレースに出られるのは、12歳になってからだったからね」
「とにかくたくさんのカートに乗せた。ジュニア用からシニア用、普通のカート、ミッションカートなどだ。多ければ多いほどいい。それからセッティングとオーバーテイクの大切さを繰り返し言い聞かせた。私が重視していたのは、自分のレーシングマシンについて細部まで理解することだった。オーバーテイクの練習は、それこそエンドレスで繰り返したよ。何時間もぶっとおしでマックスが走るのを見ていたが、オーバーテイクするのにタイムロスしていたら、それについて話し合い、私は『お前は前のマシンを抜くことはできるが、そこでタイムロスしちゃダメだ』と、何度も言って聞かせた。

走りの精度をさらに磨くために、コース上で抜いていいポイントと、抜いてはいけないポイントを決めたこともあった。簡単に抜けるポイントでは抜くな、ってね。普通あそこじゃ抜かないだろうというポイントで抜かせる練習だったんだが、私はこれがマックスがF1に行けた理由のひとつだと思う。時にとんでもないところでオーバーテイクを仕掛けるマックスを見てみんな驚くだろう? あいつにとっては10年以上も練習し続けてきたことなんだよ」
才能は神から与えられるものだ。レーシングドライバーの多くは、何年練習しようがフェルスタッペンのレベルに達することはできないだろう。そしてもうひとつ大切なものが精神力だ。“ヤング”フェルスタッペンは、ほとんどの場合、きわめて落ち着いているように見える。ヨスが続ける。
「あいつは小さい頃からそうだった。冷静でいられるということは、学んで身につけられるものではない。マックスに厳しく接していたことは自分でもよく分かっているが、あいつは強い。しっかりと受け止めてくれたよ」
ヨスがいかに厳しく息子に接していたかを物語る、こんなエピソードがある。ある時、その言動から「全力で取り組んでいないじゃないか!」と怒った父は、高速のサービスエリアに息子を置き去りにしたことがある。父の怒りを見たフェルスタッペンは、自分の言動を振り返えらざるを得なかった。もちろん後で息子を迎えに戻っている。時間をかけて考えさせたかったのだ。今のフェルスタッペンを見る限り、この時の経験がしっかりと身についていると言っていい。ヨスの話に戻ろう。
「たしかに私はマックスにはずいぶん厳しかった。でもそれは、あいつなら受け止められると信じていたからだ。私から直接言うことはなかったが、マックスのメンタルの強さには驚かされたものだよ。そして勝利を重ねるにつれて、あいつは自信を深めていった」

それでもヨスは、最終的にフェルスタッペンがF1に行けるかどうかは確信が持てなかったという。「2014年の6月がターニングポイントだ。マックスはF3で優勝を重ねていたが、私にはそのシーズンを走り切るだけの資金がない、そんな状況だったんだ。そこへまさに最適な人物から声がかかった」
それがル・マンウイナーであり、レッドブルレーシングのモータースポーツアドバイザーであるヘルムート・マルコだった。この話題になった時、ヨスはにやりと笑って付け加えた。「彼のような人物に、マックスの才能をどうこう説明する必要はないだろう?」
その時、フェルスタッペンにはメルセデスドライバーとなる選択肢もあったが、彼の才能をまずはGP2(現在のFIA-F2)で磨こうと考えたチーム代表のトト・ウォルフは、リザーブドライバーのシートをオファーした。そこにマルコが「すぐにトロロッソのレーシングシートを用意する」とオファーしたのだ。そして翌15年、彼はF1デビューを果たすのである。