更新日: 2016.09.02 19:10
モータースポーツとともに進化してきたアウディ。“ふたつのR8”の開発背景
WECやGT3レースを通じて、モータースポーツ界での活躍も知られているアウディ。ここでは彼らがモータースポーツ界でどのような役割を果たしてきたかを振り返ってみることにしよう。
アウディは1909年にアウグスト・ホルヒによって創設された自動車メーカー。しかし、ホルヒはこれに先立つ1899年に自身の名を冠した“ホルヒ社”を設立し、時代に先駆けたテクノロジーを駆使した超高級車を世に送り出していた。しかも、エンジニアでもあったホルヒはモータースポーツに強い関心を抱き、自身がステアリングを握って国際的なスポーツイベントに出場、ときには優勝を果たすこともあったという。つまり、創業者自らが根っからの“レース好き”だったのだ。
しかし、先進技術を徹底的に追求する姿勢が高コスト体質を生み出し、出資者たちと鋭く対立。ついにはホルヒ自身が更迭される事態を招く。一説には、ホルヒがモータースポーツに打ち込みすぎたことが出資者たちの反感を招いたともいわれる。ホルヒがいかにモータースポーツ好きだったかを物語るエピソードといえるだろう。
ホルヒ社を去ったホルヒは前述のとおり1909年にアウディを設立する。このとき、彼はまたもホルヒの名を冠した自動車メーカーを立ち上げるつもりだったが、この名称の所有権をホルヒ社が有していたために断念。そこでホルヒは、ドイツ語のHorchが“聞く”を意味することから、同じ意味のラテン語であるAudi(アウディ)を社名とする。Horchは英語のhear、Audiは英語のAudioに通ずる言葉なので、いずれも“聞く”に縁があるわけだ。
ホルヒはアウディ設立後もモータースポーツ活動を継続。引き続き自身もステアリングを握ってヨーロッパの国際的イベントで勇名を馳せた。ところが、1929年に世界恐慌が始まると、取引銀行の仲介もあってホルヒとアウディは1932年に合併。ここに、同じくドイツの自動車メーカーであったDKWとバンダラーも合流し、アウトウニオンが設立される。実は、このとき誕生したアウトウニオンのトレードマークが、現在のアウディに通ずる4本の輪(フォーリングス)で、これはアウトウニオンの基礎となったホルヒ、アウディ、DKW、バンダラーの4社を象徴するものだった。