アキュラ(ホンダのUSAブランド)のスポーツカー・プロジェクトは不況のために2010年で突如終了。パジェノーのキャリアはまたも翻弄された。彼は再びインディカーへの挑戦を狙う。
レースに顔を出し続けていると、怪我で欠場したドライバーの代役として出場のチャンス到来。ビザの問題で入国できなかったなんていう珍しいパターンでの代役もあった。
限られたチャンスで見せた好パフォーマンスにホンダによる売り込みもプラスされ、パジェノーは2012年にシュミット・ハミルトン・モータースポーツからインディカーにフル参戦できることに。

■再びパワーとチームメイトに
そして、2年目の2013、次の2014年にそれぞれ2勝を挙げ、速く、真面目で、チームプレイヤーで、PRへの協力姿勢も積極的な彼は2015年からインディカーの名門チーム・ペンスキーで走ることとなった。
チームは4カー体制。インディ500で3勝しているエリオ・カストロネベス、F1とNASCARを戦ってインディカーに戻って来たファン・パブロ・モントーヤ、そして、チャンプカー時代に先輩チームメイトだったウィル・パワーと一緒に走ることになった。キャラの濃いメンバーばかりだ。

パワーとまた同じチームになるとは、事実は小説より奇なりだ。ふたりのキャリアは結構対照的な道を歩んでいる。アメリカに来たのはふたりとも2006年だったが、3歳年上のパワーは1年目からチャンプカーに参戦。
2007年にパジェノーがチャンプカーにステップアップしふたりはチームメイトとなるが、パワーは初年度に見せた爆発的な速さで2008年はKVレーシング・テクノロジーへ招かれた。

ミリオネアがオーナーのKVは2シリーズ合併後にインディカーへ出場することになったが、パジェノーの残されたウォーカー・レーシングは資金不足でインディカーにスイッチすることができなかった。
その後、パワーはエリオ・カストロネベスに降って湧いた脱税問題によってペンスキーで代役を務めるチャンスを手にし、そこからレギュラードライバーへとのし上がった。
才能があってのことなのは確かだが、その頃のパジェノーのキャリアは依然として境遇や不運に振り回され続けていた。たった1年の差が大きな違いを生んでいた。