それでも、彼女のインディ500参戦には大きな意味があった。ストックカーへ転向した彼女は、自らのルーツであるオープンホイールの世界でキャリアを閉じたかったのだ。ダニカの知名度を轟かせたインディ500は、全米のファンに感謝を表し、別れを告げるためには最高の舞台だった。

「この1カ月だけでも忘れられない瞬間が幾つもあった」とリタイア直後にダニカは涙を堪えて語った。
「このプロジェクトに関わった人たち、ファン、いいマシンを与えてくれたエド・カーペンター・レーシング、そしてスポンサーに感謝したい」というコメントを残し、ダニカはスピードウェイを去った。
インディ500は多くのプラクティスを走ってから決勝に臨める上、良いマシンに乗れたらそれなりのパフォーマンスを見せることが可能。普通のドライバーなら零細チームにでもシートを確保するのは大変だが、彼女にはインディでの驚くべき実績がある上、期待できる宣伝効果はとてつもなく大きい。
ダニカの知名度はレーサーとしてアメリカで群を抜いている。そのアドバンテージを知っているダニカ陣営は、チップ・ガナッシ・レーシングやアンドレッティ・オートスポートと交渉し、最終的にエド・カーペンター・レーシングにシートを獲得した。
今年のインディでは意外にもホンダ勢がスピードの確保に苦しんだ。チーム・ペンスキーに次ぐシボレーのナンバー2チーム的存在となったエド・カーペンター・レーシングで走るダニカは、狙い通りに予選でファストナイン入り。

チーム内では最下位だったが、彼女のすぐ後ろのグリッドはインディ500優勝3回のエリオ・カストロネベス(チーム・ペンスキー)、その次が4度のシリーズ・タイトル獲得と2008年インディ500優勝の実績を誇るスコット・ディクソン(チップ・ガナッシ・レーシング)、さらに次が2004年のチャンピオンで、インディ500でも2013年に優勝しているトニー・カナーン(AJ・フォイト・レーシング)という錚々たる顔触れだった。
ダニカが優勝したら全米どころか全世界で話題になり、賞賛の嵐が吹き荒れただろう。しかし、猛暑となってドライビングが一段難しくなったマシンで彼女はスタート直後からポジションを下げる苦戦を余儀無くされ、レースが中盤に入ってからも前を走るマシンとの間隔を広く保ってのサバイバルレースを戦っていた。
「目立たない戦いに終わったら、ウイナーの記事に隠れて話題にもならない。そういうものだと思う」ともダニカは語った。
2005年にインディカーに登場。そのシーズンとインディ500、両方のルーキー・オブ・ザ・イヤーにダニカは輝いた。インディでは女性として初めてリードラップを記録した。2008年にはインディー・ジャパンで優勝。もちろん女性初。そして、2009年にはインディ500で3位フィニッシュし、年間ランキングは自己最高の5位となった。
ダニカのストックカー行きは、スポンサーの意向も大きかっただろうし、彼女自身、アメリカで当時圧倒的な人気を誇ったNASCARのストックカーで自分を試してみたいという考えを持ったのだろうとも思う。もちろん高額のギャラも魅力的だった。
しかし、結局彼女はストックカーではほとんど活躍することができなかった。ダニカはインディーカーに残るべきだった。今更言っても遅いが……。
もし残っていたら、彼女は2勝目を挙げていた可能性が強いし、女性初のインディ500優勝ドライバーになれていたかもしれない。それを考えるとNASCAR転向という決断は大いに悔やまれる。きっと彼女自身には、後悔はまったくないのないのだろうが……。ダニカに迫り、乗り越えて行く才能と情熱を持った女性ドライバーがまた現れるのを期待したい。