インディカー開幕戦中止決定までのドキュメント。ギリギリで下った“正しい判断”
11日にはドナルド・トランプ米大統領が「ヨーロッパからの渡航禁止」を突如宣言。アメリカ全体の状況が大きく変わり始めていた。翌週にはセブリングでFIA WEC世界耐久選手権第6戦が予定されていたが、ヨーロッパからチームが来られなくなるため、自動的にキャンセルに。
IMSA伝統のセブリング12時間は10月に延期された。同週末開催が“売り”であるし、来られないドライバーたちも少なくないだろうから、仕方がなかった。
通常どおり開催する予定と強気でいたNASCARも、12日のアトランタでのプラクティス開始直前、このレースと次戦ホームステッド‐マイアミを無観客で開催することを決定。この日はF1開幕戦オーストラリアが金曜終了時点でキャンセルされたことが報じられ、インディカーも開幕戦を無観客とし、トップカテゴリーのインディカーのみを2デイ・イベントに変更した。
インディカーだけは金曜をオフにし、クルーたちもガレージに来ないよう通達。パドックがインディカーとは別でオープンエアのサポートレースはプラクティス、予選、レースの一部までを金曜に押し込んで開催することになった。
ドライバーに接することの多いメディアに対しては、ほかのメジャースポーツ同様、インディカーも「取材できるメディアを限定する」とした。セントピーターズバーグでサーキットへのアクセスを許されたのは、テレビ関係者、年間パス所持者、地元の新聞やラジオのスタッフあたりまでに。
「あなたに出していた取材許可は、前代未聞で不測の事態となっているため、取り消します」とのメールが多くのメディアメンバーに配信され、OKが出た取材者にもサーキット入り直前に健康チェックが行なわれることになった。「咳が出たり、呼吸に異常があったりはしませんか?」「この14日間にクルーズ船に乗っていませんでしたか?」「この14日間に、ヨーロッパ、中国、イラン、日本、韓国、香港、台湾、タイ、シンガポール、ベトナムに行っていませんか?」などの質問に答えるフォームを提出することになったのだ。
驚いたのは、感染者数の少ない日本や台湾などが上記のリストに入っていたこと。日本に対しては、その後大胆な政令を次々と出したアメリカ政府がこの時点でも危険レベルという判定を下していなかったのだが……。
民主党の大統領候補選挙で日本人記者にパスが出なくなったという記事を見たのもこのころ。今年初めてコース入りした13日はアメリカ入国後15日目。何の問題なくチェックをクリアし、取材を許可された者が着けるバンドをもらえたが、残念な印象は残った。
13日12時前には、NASCARがアトランタとホームステッド‐マイアミの開催延期を発表。この後すぐに、インディカーが開幕4戦のキャンセルを発表した。
そして13日15時過ぎ、トランプ大統領が国家非常事態を宣言。トランプ氏は前日まで「新型コロナウイルスは風邪やインフルエンザ以下で、恐れるべきものなどではない」などと強気の姿勢をとり続けていたが、急転直下の宣言となった。
もしインディカーが予定どおりのスケジュールでプラクティスを始めていたら、大統領がアメリカ中の人々に向けて重大発表を行なっているタイミングで初日最速ドライバーが会見……という非常識な事態に陥っていた。
マイク・ペンス副大統領は元インディアナ州知事。そのあたりのネットワークから、「のんきにレースをやっていると、気まずい事態を招くことになる」といった情報やアドバイスが入ったと考えてもおかしくない。
インディカーは開幕4戦のキャンセルを発表した際、代替日程が見つかれば、できる限りオリジナルの17戦に近いイベント数を開催したいという意向も持っていたようだが、非常事態宣言により、その可能性はなくなった。いずれにしても、インディカーはギリギリのところで正しい判断を下したと言えるだろう。
佐藤琢磨は開幕戦中止を受け、「本当に残念だけど、人々の健康や命が大事なので、仕方のない決定だと思います。いま考えているのは、アメリカに残り、開幕のときを待つということ。テストに関するレギュレーションがどうなるかは分かりませんが、急にテストができることになったとき、日本から入国した人は2週間の検疫期間が必要といったことになったら困りますからね。開幕前のテストでのデータを見直したり、トレーニングをしたりして、感染しないよう充分に注意しながら、開幕に備えます」と話していた。
インディカーは、IMS(インディアナポリス・モーター・スピードウェイ)での第5戦GMRグランプリでシーズンを開幕させる意向で、第104回インディ500も予定どおりに開催することを目指すという声明を出している。NASCARもシリーズ再開はインディカーと同じ5月第2週からにする予定と発表した。
非常事態宣言に、私はそれなりの衝撃を受けた。しかし、アメリカの人々はさほどでもない様子だった。レースが行なわれるはずだった土日、私はアメリカに残っていたが、少なくともフロリダの人々は宣言の前と変わらない生活をしているように見えた。
ビーチには学生たちがあふれたままだったし、帰国便搭乗日の16日のオーランド空港はテーマパーク帰りのお客で早朝から混雑していた。宣言前にスポーツが次々とシャットダウンしていくなかでも、アメリカ人の多くは“ニューヨーク州やワシントン州の一部は特殊な例”と、深刻な現実とは捉えていなかったのかもしれない。
16日から多くの州でバーなどが営業禁止となり、レストランも閉店要請、あるいは認可されている許容人数の半分まででの営業、テイクアウトやデリバリーのみでの商売とするよう指示が出された。
大統領の主張を後押ししていたメディアも一転、危機を叫び始めている。残念ながら、私がアメリカを飛び立った時点では、あれだけスポーツが好きな国でも、レースを含むスポーツイベントの開催に向けた明るい動きがすぐに出るだろうとは考えることができなかった。