“チームメイトは勝てるのに御子息は勝てない”という状況から脱すべく、RLLは2021年シーズンに向けて体制を変更した。インディのロードコースで当時F2に参戦していた若手のクリスチャン・ルンガーをテスト的に走らせ、その年の第12戦インディアナポリス/ロードコース戦にエントリー。
これが8月のことであったが、RLLはその2カ月後の10月にはルンガーと複数年契約を結び、2022年からレギュラードライバーのひとりとしてチームに迎え入れたのだ。

ヨーロッパでの成績もまずまずで、まだまだ成長の期待できるルンガーの起用はロジカルと見えた。しかし、琢磨の代わりに迎え入れられたのがジャック・ハーベイだったのはまったく解せなかった。
ハーベイの起用には驚きさえあった。RLLは彼に何を見出していたのか……。結局、ハービーは何もできないまま2シーズン目の途中(第14戦『ギャラガーグランプリ』まで)でチームから放出されてしまった。

新たにグラハムを中心とする3台体制を作り上げたRLLは、結局は若いルンガーだけがスピードを見せ、彼以外のふたりは低迷を続けることとなった。
特に酷かったのが、琢磨がいた頃にはトップレベルにあった高速オーバルでのパフォーマンスが急降下したことだ。インディ500でのパフォーマンス向上を第一のテーマに掲げて活動しているチームもあるなか、彼らはシリーズ最大のレースでまったく輝けないチームとなってしまった。
ついに今年の最初のオーバルレースである第2戦テキサスでは、RLL3人衆が最後尾の3グリッドを独占という惨憺たる事態にまで陥った。
そして、心配されたインディ500では、パフォーマンス向上に寄与するとは考えにくいキャサリン・レッグを起用しての4台でエントリー。新たにチームに合流したレッグはなぜか予選を簡単にスルーしたが、レギュラー3人が最後尾の3グリッドを競い合う恥辱を味わった。
人々が憐れみの目で見つめた戦いではハービーがグラハムを上回り、グラハムはインディ500での予選落ちを喫した。1993年には父ボビーもインディの予選を通れずにスピードウェイを去ったことがあるが、それはオリジナルシャシーでの成功に賭けた故のことだった。

一方のグラハムは、同一スペックであるシャシーでの予選落ち、それも明らかに規模の小さいスポット参戦チームらにも敗れながらの、“世界最大のレースでの予選落ち”という大きな屈辱を味わった。こんなことが続いてはスポンサーも離れて行ってしまう。
そんな彼に降って沸いたのがドレイヤー&レインボールド・レーシングのステファン・ウィルソンの負傷欠場で、使用エンジンの違いという障壁を乗り越え、一度は予選で落ちた『インディ500』参戦が実現した。

レース結果は22位と決して良いものにはできなかったが、多くの人々が尽力してくれたことで実現したインディ500参戦(とその前の予選落ち)を経験したことで、グラハムと彼を支えるチームは考えを新たにしたようだ。
続くデトロイトでもRLLは惨憺たる戦いを披露するしかなかった。これにはオーナーのボビー・レイホールも大きなショックを受けたと後に吐露した。そして、多くのことがうまく行っていないのだから、と体制の変更に踏み切ることとなった。トップエンジニアは解雇され、クルーの配置換えも行った。
突貫で行われた改革の後、新体制での2戦目であるミド・オハイオ(RLLは長らく同地をチームの拠点としていた)を戦い、グラハムは見事予選2番手に食い込んだ。
しかも、ポールポジションのコルトン・ハータ(アンドレッティ・オートスポート)に0.0432秒差の僅差での2番手獲得。RLLのマシンは路面のスムーズなロードコースでセッティングが機能しだしたのだ。それをこの時のグラハムは結果に結びつけた。レース結果は7位だったが、陣営の士気が高まるのは必至だった。
