長年BMWモータースポーツのディレクターを務め、F1ではウイリアムズBMW、そしてBMWザウバーのチーム・プリンシパルとして活躍したマリオ・タイセン博士。6月30日をもってその職を退くことが決まっているが、26日にチェッカーフラッグが振られたニュルブルクリンク24時間で、ディレクターとして最後のレースを戦った。
タイセン博士は1977年にBMW AGに入社。1999年からゲルハルト・ベルガーをサポートする形でBMWモータースポーツのディレクターに就任すると、99年のル・マン24時間で優勝。その後F1活動ではウイリアムズBMWのエンジンサポートで活躍。03年にベルガーがBMWを離れて以降はその活動を支え、06年からはBMWザウバーF1チームのチームプリンシパルとして活躍した。
BMWモータースポーツを率いる立場としてBMWザウバーでの活動終了後はWTCCやル・マンでその姿を見ることができたが、6月30日をもってその職をジェンス・マルカルトに譲ることになり、6月25日〜26日に行われたニュルブルクリンク24時間が、タイセン博士にとってモータースポーツディレクターでの最後のレースとなった。
レースでは惜しくもマンタイ・レーシングのポルシェ911 GT3Rに及ばず、1号車BMW M3 GTが2位フィニッシュ。昨年に続く連覇はならなかった。しかしタイセン博士は「今年もニュルブルクリンク-ノルドシュライフェのレースはドラマチックだったね。オラフ・マンタイ率いるチームに心からおめでとうと言いたい。彼らはこの週末、本当に強力なパフォーマンスをみせつけた」と勝者を讃えた。
「レースは昨年我々が勝利した時を思い出させる内容だったが、大きな違いは他のライバルたちが我々と同じレベルで戦っていたということだ。多くの障害の中、最後まで勝利に向けて戦うことができたからね。BMW M3 GTを開発してくれた皆に感謝したい」
こうレースを振り返ったタイセン博士のもとには、多くの関係者がそのキャリアを讃え祝福に訪れた。その中には、かつてF1で争ったトヨタの山科忠元代表の姿も見られた。
「個人的には、今回が私にとって、BMWモータースポーツのディレクターとして最後のレースだった。私はこうして成功を残してさよならを言うことができて満足しているよ。すべての始まりは、1999年でのル・マン24時間での勝利だった。今、こうしてノルドシュライフェでポディウムに立ち、職を去ることができるんだ。どちらのイベントも、私にとっては大きな意味を持つよ」とディレクターとして最後に表彰台を獲得したことに喜びを述べるタイセン博士。
「もちろん、BMWにとって20回目の勝利を飾ることができたら良かったんだけどね。ただ、土曜のアクシデントが状況を一変させてしまったんだ」