更新日: 2018.02.16 02:59
プジョー、13秒差に泣く「チームを誇りに思う」
2011年6月12日(日)
プジョー・スポール発【最終結果】
ル・マン24時間耐久レース
2011年6月11〜12日
13.854秒差─ここに新たな伝説が生まれた
第79回ル・マン24時間耐久レースは、チェッカーフラッグが振られるまで手に汗握るレースが繰り広げられ、その歴史に新たな伝説が刻まれることとなりました。24万9500人を超える観客が見守るなか、チーム・プジョー・トタルの3台は最後まで力走。興奮と数々のエピソードに彩られたレースの末、セバスチャン・ブルデー/ペドロ・ラミー/シモン・パジュノー(プジョー9089号車)はトップにわずかに13.854秒及ばず、2位フィニッシュとなりました。
感動のレース、主役はプジョー
耐久レースの頂点、ル・マン24時間に照準を合わせて闘ってきたチーム・プジョー・トタル。念入りな準備を済ませ、激しい争いとなった予選で908の実力を見せつけ、3台のプジョーは土曜日の午後、スタートラインに並びました。PSAグループ・マネジメント・ボードのチェアマン、フィリップ・ヴァリンも駆けつけて、チームを激励しました。「プジョーをあげて、応援しています。908はプジョーの高い技術力の象徴です」
「賽は投げられた。2大マニュファクチャラーが雌雄を決する時がきたのです」とオリビエ・ケネルも語ります。「精一杯の準備をしてきました。でもこれはスポーツ。すべてはコース上で決するのです」とプジョー・スポールのテクニカル・ディレクター、ブルーノ・ファミンは付け加えました。
24時間にわたるレースを通じて、プジョー908は高いパフォーマンスと安定性を見せました。24時間にわたり、世界中のファンやテレビ視聴者、ウェブユーザーが見守るなか、メカニックもドライバーも一瞬たりとも気を緩めることなく、すばらしいレースを展開しました。
「勝つためにここへやってきて、2位に終わりました。そういう意味で、がっかりしていないといったら嘘になります」とオリビエ・ケネルも認めます。「でも、完璧に信頼のおけるマシンを3台揃え、技術面から見てミスのないパフォーマンスを披露しました。──これは誇りに思っていいでしょう。ドライバーたちはとにかくプッシュし続けました。シモン・パジュノーは残り15分というところでトップから10秒ほどに迫ったんです。24時間にわたる長いスプリント勝負でしたが、『こうしていたら展開が違ったのに』と悔いが残る部分はほんのわずか。本日勝利を挙げたライバルに心からの賛辞を送ります。互いにスポーツマンシップにのっとり、敬意の念を抱いて、勝利めざして戦いました」
抜群の安定性を見せたプジョー908
セブリング12時間耐久レースで表彰台、スパ-フランコルシャン1000Kmレースでワンツー・フィニッシュとル・マン24時間で再び優勝することを目指して成長を遂げてきたプジョー908。3台が2,3,4位に入るという結果を納め、ニューマシンの安定性をしっかりと証明しました。
燃料消費が最適化されたV8 Hdi FAPのおかげで、908は12ラップ/スティントで通すことができました。夜中、ドライバー達は4スティント/48ラップミシュラン・タイヤを無交換でドライブすることができたのです。
「安定性という意味では、目標を達成しました」とブルーノ・ファミンは振り返ります。「レースはパフォーマンスで決まります。パフォーマンス面ではちょっとミスがありました。特にハード・コンパウンド・タイヤの件。あれでライバルを利してしまいましたね」
24時間にわたる戦い
ジャン・トッドが第79回ル・マン24時間耐久レースの開始を告げた時、24万9500人を超える観客はフランク・モンタニーの駆るプジョー908(8号車)とアラン・マクニッシュの駆るアウディ3号車のライバル同士が繰り広げる激しいレースに釘付けとなりました。15時51分、アウディ3号車は後方を走る車と接触、コースを外れて激しいクラッシュとなりました。
これでセーフティーカーが1時間以上にわたり入ります。この時点でフランク・モンタニー(8号車)、アレクサンダー・ウルツ(7号車)、セバスチャン・ブルデー(9号車)は3位から5位の位置で一団となっていました。セーフティーカーが入っている間にプジョー8号車はブレーキバランスシステムの問題を解決するのにメカニックが時間をとり、数秒をロスしました。
レースが再開されるとアレクサンダー・ウルツは果敢に攻め、2位に浮上。先を行くマシンが次々のピットインしたため、37ラップ目で初のトップとなります。先頭の5台がすべて同ラップで激しい争いを繰り広げ、トップが次々と変わっていきましたが、22時41分にアウディ3号車がインディアナポリス・コーナーで他車と接触、柵に突っ込むという事故が発生。セーフティーカーが2時間半にわたって入り、事故で壊れた安全柵の修理がおこなわれました。
9号車のセバスチャン・ブルデーとシモン・パジュノー、8号車のステファン・サラザン、7号車のアンソニー・デイビッドソンは3-4スティント交代で夜を徹して黙々とドライビングを続けます。ソフト・タイヤで、1スティント/12ラップというペースを頑なに守ったプジョーは(アウディは10から11)このコンディションでの走りの確かさを見せつけることができました。そのうちプジョー9号車がチーム・プジョー・トタルの先頭に躍り出、トップを行くアウディにコンスタントなプレッシャーをかけていきます。
日の出とともに3度目となるセーフティーカーが短時間入りました(クラッシュのため)。優勝争いはクライマックスを迎え、プジョー908の7号車、9号車とアウディ2号車が激しく争いながら同時にピットインします。このあと遅れをとったのは8号車、特に1分間のストップ・アンド・ゴーペナルティを受けたことが影響しました。9時44分、7号車のアレクサンダー・ウルツはブレーキングのミスからインディアナポリス・コーナーのタイヤ・ウォールに激突します。しかしル・マンで2度の勝利経験があるウルツは落ち着いてピットイン、メカニックは9分間でフロント右アクセルシャフトを交換しました。7号車は4位でレースに復帰、トップ集団とは4ラップの差ができていました。
天気予報どおり、午前11時ごろから弱い雨が降り始めます。プジョー・スポールのエンジニアの正しいタイヤチョイスのおかげでシモン・パジュノーはトップを行くアンドレ・ロッテラーとの差を30秒弱に縮めます。
レースの最後はもちろん2台のデッドヒートとなりました。14時24分、両マシンともピットレーンに入り、最後のピットイン。ミシュラン・タイヤを交換しなかったパジュノーに対し、ロッテラーは新しいタイヤに交換。コースに戻ったとき、2台の差はわずか10秒弱でした。新しいタイヤのアドバンテージをフルに生かし、ロッテラーはラップを刻むごとに少しずつ差を広げ、勝利をもぎとったのです。プジョー9号車は2位、8号車は3位、7号車は4位でした。チーム・オレカのプジョー908 HDi FAPも5位とル・マン24時間での過去タイとなりました。
ル・マン24時間ではダブルポイントが与えられるため、プジョーはインターコンチネンタル・ル・マン・カップ(ILMC)でのマニュファクチャラーズ・ポイントのリードを増やしました。次のラウンドは7月1〜3日のイモラ(イタリア)になります。チーム・プジョー・トタルは2台をエントリーする予定です。
オリビエ・ケネル、プジョー・スポール・ディレクター
「伝統あるル・マン24時間の歴史に新たな1ページを刻んだプジョーの戦いはすばらしかったと思います。ル・マンへ傾けてきた情熱を思うと、優勝できなかったことはもちろん悔しいです。今回のレースコンディションの中で、相手は私たちより少しだけ速かった。でも、最後の最後まで勝利目指して戦ったチームを私は誇りに思います」
ブルーノ・ファミン、プジョー・スポール・テクニカル・ディレクター
「すばらしい戦いでした。伝統の1戦にふさわしい内容がぎっしりで、その意味でレースには満足しています。結果にはもちろん満足していません。勝つ為にここに来たのですから。相手のパフォーマンスが少しだけ私たちを上回っていた、それは事実です。でも、私たちの方が勝っていた部分もたくさんありました。2~3の小さなミスで勝ちを逃してしまいましたね」